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皆さんお久しぶりです。あおです。


今日は練習の感想と、かなり遅くなりましたが
私が京大の入試を受けた体験談を書きたいと思います。

今日のメニュー
up        cho  200*1                                  4'
                     100*10                                1'40"
                     25*4          Hard                  45"
rest                                                           1'
swim   cho  25*6         Drill                    45"
                      50*4        Form                  1'
rest                                                           2'30"
main    S1   50*2         Form                 1'10
                   +50*4      Des to Hard        1'10"
                    *2
                      25*6        E,H / t                1'
down   cho  400*1                                 7'

今日は夜中ながらなかなか辛かったです。
特にディセンド4本目から25ハード1本目あたりがしんどかったです。
25ハード3本目にはさすがに回復しましたが1本目から頑張れるようにしたいです。
いつもの朝一の練習と違って練習をやりきって1日を終えられるので
夜中は個人的には好きです。行くのはちょっと面倒ですが。



さて、ここから本題の合格体験記に入りたいと思います。

※はじめに※
私のことをよく知っている人からは突っ込まれる内容かもしれません。
個人の感想です。効果には個人差があります。
それでもいいという人はぜひ読んでください。

<本文>
 大阪の某公立高校の理数科に通っていた私は初めから行くなら工学部、そして行けるなら京大と決めていたので模試の時からそのつもりで受けてきました。しかしながら高2までの模試や学校のテストではなかなか点数が取れず、京大に入るために十分な学力を持っているとは言えない状況でした。そんな私も高3の6月の終わりごろに水泳部を引退しそろそろ受験勉強を始めようと学習机に散らばっていた参考書を取り出し始めました。

 高3の夏休みといえば受験勉強の天王山。各予備校や塾では夏期講習の宣伝がなされ私の通っていた高校でもチラシ配りのお兄さんがよく来ていました。私も初めは予備校に通ったほうがいいのではと思いK塾の認定テストを受けに行きました。しかし結果は最悪。阪大コースにしか入れなかったうえに名前の漢字を間違えられるという悲惨なものでした。「もう予備校には通わない。」私は自分自身でがんばり、学校で習ったことを信じることに決めました。

 さっそく机に向かい苦手だった英語を中心に夏休みはわき目もふらずに勉強し続けました。そしてついに京大を受ける人なら必ず受けるであろうK塾全統マーク模試と大手予備校Sによる実戦模試がやってきました。しかしここでも撃沈しマーク模試はD判定実戦の英語は150点中の30点台という結果でした。「何とかしなくては。」その時の私は今振り返っても焦りでいっぱいでした。そんな時私の担任だった先生はこう言いました。あお君なら大丈夫焦るのではなく苦手なところを無くしていくことが大事だよ、と。ちょうどその時は高校生活最後の文化祭(高校では文展と呼んでいました)。この文展をやりきって気持ちを新たに切り替えようと決意しました。

 そして英語が苦手であった最大の原因である単語力を強化して、理科の出題範囲を勉強し終えて臨んだ2回目の実戦模試では1回目の結果を上回り何とかA判定。しかし英語は相変わらずひどい結果でマーク模試も点数が上がらずじまいでした。私はつらいのを覚悟で勉強時間をさらに増やすことにしました。12月にはセンター直前とあって悩ましい時期でしたが、「第一志望の京大に合格しなければ意味がない。センターは配点のある科目だけでも頑張ろう。」と理科や数学の点数が下がるのを覚悟で世界史・英語・国語に打ち込みました。

 迎えたセンター当日。私の家からセンターの会場までは結構距離があったので当日は早起きして試験に挑みました。そして自己採点の結果京大のボーダーには及びませんでしたがここまで来たらやるしかない。万歳システムD判定を受け止めつつ京大に願書を出しました。

 そしてちょうど今から1年前にこの時期私は最後の確認に今までやってきた参考書やプリント類を復習し満を持して赤本を解き始めました。過去問は25カ年を始め今までにもやってきましたが赤本は手ごわく得意の数学や理科でもミスしたところを復習しなければならない状態でした。そしてついにやってきた入試当日。前日から京都入りしていた私は同級生のS君と試験を受けに行きました。感覚的には1日目の国語数学は手ごたえあり、2日目の英語理科はよくわからないまま終わりました。ただ今年の数学はとてもとても簡単だったので油断はできません。入試が終わってからも少しは勉強を続けようと思い阪大の問題を解いたりしました。

 合格発表の日そこにあった自分の番号を見て何とも言えないうれしい気持ちになりました。やはり頑張ってきてよかった。長い受験勉強の日々が最高の形で終わった。下宿先はどうしようか。など様々な気持ちが浮かび上がってきました。

 最後に。これから入試を受けるであろう受験生にはぜひとも頑張ってほしいと思います。京大を受ける人も阪大を受ける人も模試の結果なんかよりも頑張り次第で結果なんて変えられるんだということをすこしでも受け取っていただければ幸いでございます。

 以上
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受験の思ひ出
 受験のことについては、あまり思い出したくはないので僕はあまり覚えていないのですが、僕も相当大変でした。
 センター試験という、勉強を嫌いにするためにつくられた試験には見事な失敗をし、もうダメかと思って、一次選抜のなさそうな総合人間学部に願書を提出しようと決めました。しかしその夜、飛行機が墜落して炎上する夢を見たため、これは落とされるという予知夢だと確信して、志望先をセンター試験とは関係のない経済学部の論文入試にかえました(親にはびっくりされましたが)。結果、確かに総合人間学部では一次選抜があったので、あの夢というか、直感がなければ僕は京大にいなかったと思います。
 その後、論文の試験で、当時愛読していたルソーの「エミール」を引用しながら、女性が社会に進出することが必ずしも良いとは限らないという主張をしたことや、アメリカ一極時代はじきに終焉し多極化の時代が来ると論じたことが、評価されたのかどうか、それはわかりませんが、合格することができました。
上島大和 2012/02/12(Sun)21:26:41 編集
無題
英語が苦手なんて本当に粟生は島田ですね(天高ジョーク)


バイト先の先生が論文入試は自分の思考をしっかりと持てる人間じゃないとどんなに頑張っても受からんと熱く語っていましたが、大和を見るとなるほどという気持ちです。
2012/02/14(Tue)14:35:44 編集
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