忍者ブログ
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

最初に美味い津ぎょうざの写真でもあげておきます。

そのつもりでしたが、ファイル容量がありません、とのことでカットします。


 


 


津ぎょうざは直径15cmの皮を用いた揚げ餃子です。


皮はパリッと、中はジューシー、ビッグなサイズでベリーデリシャス


 


地元の三重では給食で出されることもあり、余った津ぎょうざをかけた熱きじゃんけんが行われます。


 


地元ならではの給食メニューって良いですよね。


他の都道府県の地元給食とかあればぜひ教えて欲しいです。


 


 


 


お疲れ様です。三重県大好き1回生の奥田です。


今日のメニュー、どん


 


W-up 100*4 1,2t ch 3t:IM, 4tIMR


      50*4 Des


Drill 50*6


Agility 25*4 uw, 15SK, 15QAP, 25H


S or P 100*3*2 hyp 3,5,7/t


       50*1*2 breath 1t/25m


       25*1*2 no breath


UW 25*6


Down 50*8


 


メニューを作ってくださった京介さん、マネの加奈さん、今日もありがとうございました。Agilityで4レーン一気にタイム読み上げてたの凄かったです。


 


 


呼吸器系のトレーニングはやっぱりきついですね。スプリンターとしてはかなり重要になってくるので、いろいろ考えながら取り組めて良かったと思います。


 


 


ハイポトレーニングは、呼吸を我慢する能力だけじゃなく、呼吸筋やその機能を高められます。前者は低酸素状態を作り出すことで、レース終盤やターン後のドルフィン、ラスト7mあたりのノーブレの局面に効いてきます。後者は呼吸に関わる横隔膜や肋骨周辺の筋肉を鍛えることで呼吸の質を上げてくれます。

瞬時に息を吐ききったり、大量の空気を吸い込んだりする能力ってレース序盤で意外と重要なんじゃないかなって思います。


 


 


こんな感じでハイポは推しの練習です。


 


 


 


 


 


合格体験記に移ろうと思います。


 


最近、特色合格erによる合格体験記や史遠の超大作、桜の感動作、ともかの深い言葉により合格体験記のハードルが上がっていて困ります(いいぞ、もっとやれ)。僕は僕らしく書けるように頑張りますのでしばしお付き合いください。


 


 


 


高校2年生の3月初旬、とある吉報が届きました。


 


YZR先輩、京大合格したってよ。


 


 


7月の東海総体をベストで飾って水泳を引退し、そこから現役で京大に合格するのって普通に格好良すぎませんか。僕の母校は皆さんのような有名進学校ではなく、前置詞として自称がつく進学校だったので衝撃でした(浪人込みで京大は5名ほど)。京泳名簿見ましたが、僕の母校出身のOBさんは昭和30年代あたりに1人いらっしゃったくらいです。


 


YZR先輩は当時から凄い努力家で、「努力は実を結ぶ」ってことを体現化してくれます。今でもそうです。そんなYZR先輩を見ていたら、安全圏の大学を目指すより、背伸びして届くか届かないかの大学に挑戦したくなりました。それが京大を目指したきっかけです。尊敬していた先輩が京大に合格するってのは、僕の志望校を揺るがすのに十分すぎる動機でした。


 


ちなみに京都の街が好きだとか学風が良いだとかは全く考えていなかったので受験生としては不純な動機だったのかもしれません。


 


 


志望学部は理学部or工学部(電気電子科)で出願直前まで迷うことに。


理学部なら数学の教師になって地元の三重で教鞭を執りたい、工学部なら電気系のホワイトな企業でいろんな経験を積んで価値観を広げたいって思ってました。


 


 


 


 


迎えた高3の4月


 


4月にもかかわらず、ほとんどの生徒が部活を引退してしまいました。


 


コロナ禍でインハイの中止が決まり県総体がなくなり、部活に目標を失った受験生がとるべき正しい行動でした。しかし、そうも簡単に部活をやめてしまう生徒が僕には薄情に思えてしまいました。最後に結果を出さずして諦められるほどだったのかよって。


 


 


過程にこそ意味があると人は言いますが、成功の有無に関わらず結果があってこそ過程が評価できるんだと思います。そもそも結果を出さずに評価できる過程なんて部活で言えば、楽しむための部活を除いて部活ごっこで得られる美化された絆だとか上下関係の立ち回りとかじゃないですか。ただただ青春演者になりたかっただけなのかよって思うと、少し裏切られたかのような気分になっていました。


 


 


こんな感じで尖りまくってました。コロナ禍で全てが取り上げられ、心に余裕がありませんでした。そりゃ進学校の生徒は、部活<受験があたりまえですし、受験に人生かけてますからね。


 


 


水泳の方に高校生活をベットしていた当時の僕は現役続行を決意。15年間の水泳人生をこんな有耶無耶に終わらせたくない、何より今まで積み重ねてきた努力に意味がなかったなんて思いたくない。高校の引退レースとかってもう一生訪れませんからね。コロナの影響で実は冬に出てたあの大会が引退レースでした、とかは死んでも嫌でした。


 


 


それから迎えた8月


県総体の代替大会が開催されました。目標は2種目表彰台。半フリでは執念が強すぎてタッチで指を骨折しましたが、電光掲示板の順位を見て水泳を最後まで続けて本当に良かったと思えました。1ブレも骨が折れたまま特攻し、なんとか3位に。指の折れた痛みが目標の達成感を実感させてくれました。


 


やれるべきことは全てやったと、すごい清々しかったです。


 


それから受験に移行。


部活で失った時間の分、他の京大受験生よりも勉強する覚悟を決める。


見てろよ、コロナでそそくさと部活引退してった受験生追い抜かしてやるからな。


 


 


そして河合塾へ入塾


環境から勉強を強制しようと自習室を目的に入塾しました。授業は必要最低限しかとらず、投資額は安部さんの給付金で済みました。とはいえ、両親ありがとう。


 


 


11月


勉強時間はどんどん増え、平日10時間勉強していました(授業除く)。3時、4時寝の生活をしていたため、1週間体調を崩す。これを機に健康の大切さを覚えました。大事なものって失って初めてその大切さに気づくんですよね。健康第一!


 


12月


模試で41点、42点を叩き出していたリスニング、地理の勉強を始める。センターのときはリスニング50点満点でしたが、今はなんと100点満点です。しかもなんと工学部では共通テストが地理国語英語(2:1:1)で決まってしまいます。1ヶ月あればなんとかなるものだと思っていた(ならなかった)。


 


そしてなぜか地元のクラブに駆り出されて、クラブ対抗戦(長水路)に出る。受験の息抜き感覚で半フリを泳いだが25.00(PB+0.19)。現状それさえも上回れてないのが普通に悔しい。


 


 


1月


共通テスト本番


終わった科目の話はしないように、考えないようにしていました。地理、国語(現文)、リスニングのおよそ3割は勘。自己採点の結果、その3つにおいておよそ3割点数が飛ぶ。


工学部配点で76%を叩き出し、本気で焦る。


素点を圧縮するだけの理学部配点でも8割に届かず、マジで焦る。


でもまあ2次ちょいと自信あったし配点でかいし何とかなるんじゃね、と考え京大に特攻。


出願は第2志望の保険が効きそうな工学部にしました。第1志望電電、第2志望工化。


私立は対策に割く時間が惜しかったので受けてません。その分、中期は府大、後期は神大に出願していました。


 


2月


2次試験


当日の朝食は、何にも食べられる気がしませんでした。何か食べなきゃまずいと思って、ホテルの弁当の唐揚げを1つ口に運ぶ。既にしっかり吐きそうでしたが、電車でしっかり酔い、おぼつかない足取りで大学へ向かう。パン屋の良い香りでさえも吐きそうでした。


 


席に着くと、解答用紙などが配られてから始まるまでの空白の時間が長く、心臓の音がバクバク聞こえていました。国語、数学、英語と順調に解き、最後の理科。そういえば、国語の先生(京大出身)が前期のとき最後の科目を諦め気味に解いてしまい、蓋を開けてみたら数点差で落ちちゃってた、とか言ってたのを思い出す。一瞬一秒無駄にしないように解いた。


 


 


帰りの電車でなぜか解答速報を見てしまい、4完だと思い込んでいた数学が1完だということに気づく。共テの分、追いつかなきゃいけないのにこれはオワタ。自己採点しても高く見積もっても例年の最低点ギリ超えるかどうか。合格発表までの2週間地の底にいる思いでした。受験生へ、2週間結構長いから精神衛生上、自己採点せん方がええで。


 


3月


蓋を開けてみれば、最低点+1.92点で受かっていました。第2志望の保険が効いていました。地理の勘が1つ外れていたら落ちてます。2次数学は結局65/200でしたし、共テは76%でどこに受かる要素があったのか。謎極まりない。けど受かったから何でもいいやって感じです。結果的に時間的にも費用的にもコスパの良い受験になりました。


 


こんな感じで運要素強めの受験でしたが、もし受験に失敗していてもきっと後悔はしていません。あくまで結果論ですが。水泳に振り切って受験に失敗したならもう1年の勉強は受け入れるつもりでした。高校生のときは水泳に熱き少年だったと思います。


 



部活と勉強に悩める高校生へ。

自分の信念に基づく選択なら部活をとっても受験をとっても何でも構いません。大事なのは自分が選んだ道を、責任をもって正すこと。要は、後悔せんように前向いて生きろよってことです。間違えても取り返しがつかんのなら、次の1歩のことだけ考えればいいじゃない。多少の回り道になったとしても、その道にも意味があり、必要だったといえるくらいの心の広さを持って欲しいです。


 


 


 


次回は子羊愛好家の西垣監督です。馬場さんの読みたい合格体験記は彼に託しました。


 


2021→2022 全進

PR
以前言っていたY字バランスならぬI字バランスがもうすぐ出来そうになっていたのに2.3日柔軟をサボってたら元通りになってしまいました

体って正直だなと改めて感じました


お疲れ様です。一回のマネの中辻です。



本日のメニュー

W-up  200*2  ch
      50*4  IM

      100*3  DPS
      50*4  Des

      50*6   Drill
 
Agility  25*4  float-10m max

MAIN!!    75*1*4  Max from Dive
       25*1*4  squeeze

       50*4  float start max

Down   50*8  1~4t:15speed


お疲れ様でした!


最近上からみんなの泳ぎを見てクセを見つける機会が多くなってる気がします

ただどうしてもバレエ目線で見てしまうので偏見の塊ですが、、、

体の使い方は違うけど楽しんでます!





合格体験記を書こうと思います。
、、、けど私の合格体験記はあってないようなもので、みんなと全くと言っていいほど違うので早く大学が決まってやっていたことを書こうと思います


先にも言ったように私はみんなより早く大学が決まりました。だからこそ将来について深く時間をかけて考えることができました


現大学生、受験生みんな夢があって大学に進みたい、この学部に行きたいと思ったと思います。私自身もそうでした。


けれどある日、高校の先生に将来したいことの話になった時に具体的なことを私はいうことができませんでした。

夢としてこんな職業に就きたい、大学でこんな勉強をしたいと思っていたけど答えれなかった時に自分がどれだけ将来についてAboutに考えていたのだな感じました。




そこで具体的に考えることにしました。将来本当に何がしたいのか。大学で何を学びたいのか。そのために残りの高校生活で何をしたいのか。


察してる方もいるかもしれないですがそれってすごく難しいことでなかなかできませんでした。

実際今もどうするか悩んでいるしこの間も高校に行ってお世話になった先生に話を聞いてもらいました。




将来のことを考えるのって本当に難しいことでたくさんの選択をしないといけないです

後悔しないようにしようと思うと時間もかかるしなかなか選択することができません



けどこの将来について深く考える時間で後悔って自分が成長するために絶対に必要なものなんだなと思いました



後悔するってことはそれだけそのことに本気で考えて本気で取り組んでる証拠だと私は思ってます



自分が真剣に考えて選んだものはいつか自分に返ってくるし、すごく価値のあるものになると思います



だからこそ本当に自分が残りの高校生活、大学生活で何をしたいのか考えてみるとまた価値観が変わると思います。




この日記を書きながら私自身もこれから取捨選択をしていく上でこのことを忘れないようにしないといけないなと思っています。




受験生のみなさん、夢や目標に向かって大きな一歩ですね!!

みなさんが夢や目標に進んでいけるのを願っています、、、頑張ってください!!!






明日の日記はゆきとにお願いしました!


春休みに入ってからバイトのない日は、


部活朝ご飯朝寝昼ご飯昼寝家事夜ご飯ダラダラ就寝


みたいなことが何日かあります。



さすがに寝すぎで、逆に体に悪そうなので土曜日からnanoblockで大阪城を作り始めました。ボケ防止にもなります。2月中に作り終わるように頑張ります。




お疲れ様です。1回生の下田です。



今日のメニュー


WUP  400*1   SKPS


             50*8   1-4t IMO  5-8t DPS



Kick  100*6   1-4t Des  5-6t Speed Keep


          50*6   25H-E  Build Up  Hard



P or S  200*6   Even Pace


            100*4   Max Speed



Form  50*8



Swim  100*8  1-4t Des to Hard


                        5t Smooth  6-8t Hard



Down  50*4  15m Pitch Up


            50*4   Loosen Down




メニューをつくってくださったゆういちろうさん、マネージャーのなつきさん、かなさん、今日もありがとうございました。




月曜日のメニューはすごく苦手ですが、最近200に対する精神的ダメージが少しだけ軽くなってきたような気がします。春室は関国以来の200Baに出るので気負わずに大ベスト更新を狙いたいと思います。






では、合格体験記を書いていこうと思います。私は一浪しましたが、現役時の記憶はほとんど抹消したので、そこはかなり省略してます、ご了承ください。




京大を目指したのは小6のときです。まわりの人よりすこーしだけ早いのかな。だからといって人と違うことをしてきたわけではないですが。



6の夏休みの最後の3日間で父と京都旅行に行きました。このときに寺社巡りと京都の町並みが好きだったのと、大好物の抹茶があるからという理由で大学生になったら京都に住もうと決めました。当時、京都にある大学は京大しか知らなかったので、自然と志望校は京大にしました。



このときはそれだけの理由でしたが、全く生半可な気持ちではなかったし、両親にも京大に行くと言っていました。旅行から帰ってきてすぐに500円玉貯金を始めました。(まだ開けてないので次帰省する時に開けようと思います)




そして、中学受験、高校受験を経験して、どちらも第1志望校に無事合格しました。


私の高校は史遠と同じように四年制高校と言われ、現役に厳しく浪人に優しい学校でした。




3から高校に入るまでは本気で小学校の先生になりたいと思っていました。でも、中学校のときにあらゆる場面で人間の性格の裏表というものを知ってしまいます。先生って本当に大変だろうなと思い、夢をかえることに。



2になるときに文理選択があって、医者と看護師以外の医療関係、特に臨床検査技師に興味を持ち、その道に進むことを決めて今の学科を志望しました。





一気に飛びます。




現役のときは前期京大、後期神大の国公立だけ出願しました。絶対にありえないと言われましたが、もし前期で足切りとかにかかったら、何も受験せずに終わるのはさすがにやめた方がいいかなと思って、後期は関西の国公立から適当に選んで出しました。




で、前期は不合格。



夏の初めての京大模試では、苦手な理科を3時間のうち30分で終わらせることができました。これでも記述以外は全てうめてあります。もちろん分からなすぎて9割は勘ですが。そのときと比べれば本番では3時間かけて解けるようになったし、自分の全てを出し切ったので、悔しいとかいう感情はなかったです。


ただひたすら虚無感。




結局後期は受けませんでした。前期試験が終わってから筆箱を1回も開けてないのでシャーペンの持ち方すら覚えているか分からないし、やる気もないし、もし受かったら絶対神大に行きたくなると思ったので。




ただ、新幹線の切符をすでにとっていたので、その分で父と京都旅行に行きました。



やっぱり京都はいいところだなと感じるとともに京大再チャレンジに覚悟を決めました。




旅行から帰ってきてどの予備校にするか考え始めます。鹿児島には駿台や河合塾など大手の予備校はないこと、一刻も早く京都に行きたかったことから、京都の駿台に行きたいと両親にお願いしました。即却下。



その後もたくさん情報を集め、私にしては珍しく粘りましたが、効果はありませんでした。返ってきたのは「絶対メンタルやられるよ」その一言だけでした。



ということで諦めて、鹿児島高等予備校、通称"高予備"に入りました。



結論、本当にこの選択でよかった。


今の一人暮らしでも寂しいのに、これで勉強だけの生活だったらメンタル崩壊してたと思います。




高予備は規則が緩くて、チューターから自習はすすめられますが別に強制ではありませんでした。なので、私は月~土は8時すぎから18時半まで予備校で授業&自習、日曜の朝はは高校で浪人生のための理科の補習を受けました。残りは全て家です。多分他の浪人生よりは予備校にいる時間がかなり短いと思います。



その分、予備校にいる間は気を張りながら勉強して、家に帰ってきてからは少しリラックスしながら勉強するというようにメリハリをつけるようにしていました。とにかくメンタルをやられないように。



疲れた時は10分だけスマホを触ってもいいと決めて、京大に合格したときのために物件探したり、バイトを調べたりしていました。ちなみに今やってる塾のバイトもこのときに見つけました。




一見、緩すぎる生活ですが、現役時と比べると成績はかなり上がりました。そのおかげもあって焦りすぎることなく、気楽に浪人生活を送っていたように自分では思っていました。




いよいよ受験校を考える時期。


11月ぐらいに、もし京大がダメだったらどうするかという話を母としました。その頃には二次型の模試ではA判定をキープできていたのでいけるんじゃないかという思いもありながら、「ダメだったら私立にいくか、もう一浪っていう選択肢もあるかな」と話すと、



母に「もう一浪はやめなさい」と言われました。



金銭的なことや私の将来が不安なのかなとあれこれ考えながら理由を聞いてみたら「見ていてかわいそうだから」と。




私は誰に対しても自分の感情を100%伝えることができないです、たとえ家族であっても90%ぐらい。特にマイナスな感情は自分のうちに秘めておきたいし、泣きたいときは人にあまり見られたくないのでお風呂に入りながら思いっきり泣きます。そうすればシャワーの音で泣いてるか分からないし、目が赤くてもシャンプーが目に入ったとか言って嘘つけるから。



そんな私なので、浪人生活が嫌だとかしんどいとか一切口にしていませんでした。でもやっぱり親はすごいです。私の心の片隅にあった感情を読みとっていたんだなと思いました。




浪人生活も残り少し。


共通テストに臨みましたが結果はE判定。(何を書いたか覚えてない箇所があって採点ミスったので実際はD判定だったみたいです)



これまでもマーク模試はだいたいCDで、2次型がA、総合Aみたいな感じだったので、チューターに全然大丈夫と言われたし、自分でもなんとかなると思いつつも、実際E判定をつきつけられると絶望でした。そこから1ヶ月は生活リズムは変えず、ただ人間としての感情を全て捨てて勉強しました。




そして、2月に入り、初めて共通テスト利用の私立の合格通知をもらいました。このとき、妥協とかではないのですが、思わず「もう一浪は免れた!」と本音が溢れ出てしまいました。




兄が東京にいるので、私立に行くなら東京と言われていたため、一般入試では東京の私立複数校と、京都への最後の望みとして立命館を受け、無事に合格しました。



が、立命館のキャンパスが滋賀にあることを受かってから知り、京都に住むためにはいよいよ京大1本になってしまいました。



しかし、その状況が自分を奮い立たせてくれ、大逆転で京大に合格することができました。自分の受験番号を見た時は嬉しすぎて何年かぶりに家族の前で涙を流しました。





まとまりがないですが、私の受験生活はこんな感じでした。特に浪人の1年間はメンタル勝負でした。1年多く勉強する、それだけのことですが簡単にできることではなかったです。家族、友達、チューター、高校の先生など多くの方の支えがあって乗り越えることができた1年だったと思います。




受験生の皆さん、いよいよあと少しです。


この時期、不安や焦りが出てきますが、受験生みんな同じです。受かったら何がしたいかイメージすると多少は緊張もほぐれると思います。体調に気をつけて最後まで頑張ってください!!





明日の日記はともかにお願いしました。




2021-2022 全進


〜第三部 二浪〜


 


 


立ち直るのには、二週間くらいかかったと思います。


 


まあ大学に行かんと話にならんってことで、とりあえず志望校を決めることなく勉強し始めました。


 


一浪の時にあれだけ京大に固執していたのにも関わらず、どこの大学でもよくなりました。


だって、それ以前に生きるか死ぬか考えたんだもの、どこでも生きてればいいでしょ。


 


ただ、まあ一浪までの勉強が全て無駄になったということはないので、それなりの学力があり、まあ東大にしようかなって感じでした。


目標が全くないのは流石にアレなんで。(アレ)


 


 


二浪するにあたって、二つのテーマを掲げました


 


一つは『挑戦』


 


挑戦すること、これこそが人間の生きる意味だと思います(痛いやつ)


 


てことで、スケボーと株の勉強を始めました、


まあ息抜きが欲しかっただけですけど。


 


 


スケボーは日に日に上達していくのがわかり、プチ達成感も得られて最高でした。


 


一回、大怪我してテキストが血だらけになったりしましたけど。


 


 


株も楽しんだな、これが。勉強する喜びを享受していました。


 


 


 


もう一つのテーマは、『強メンタル』


 


一浪の時の敗北の要因は、紛れもなくメンタルブレイクでした。しかも試験中に。


 


なので、何があっても決して動じない強いメンタルを作ること


 


これを目標にしました。


 


そもそも、緊張するタイプではなかったのですが、一浪の時はパニクって何もできなかった。


 


実力を発揮できないことが一番悔しいことなので、メンタルで負けないようになることを誓いました。


 


そのために、心のゆとりを持つようにしました。


 


勉強とはというと、二浪目は基本的にやりたい勉強しかしてないです。


 


入った予備校の先生にも恵まれて毎日たのしかった。理3卒の先生とおしゃべりしたり、特進クラスの子とタイムアタックしたり。


 


 


一浪の朝方生活もやめて、夜型生活に変えました。性に合わないことは心の安定を阻害するだけなのでいらないです。


 


 


自分に合った勉強が一番だと思い直して。


 


 


夏に頑張りすぎることもなく、夏以降にダレることもなく、コンスタントに勉強しました。


 


冬に入って、少しづつエンジンをかけて、最後にトップスピードになればいいなと思ってました。


 


 


成績は、結構伸びました。意外と伸び代あるんだなあって自分でもびっくりしました。限界だと決めつけてた割には。


 


 


 


結局、共通テストが9割なかったので東大ではなく京大にしました。


チューターには東大でも大丈夫じゃない?と言われたのですが、まあ二浪なんでそんなにチャレンジもできないし、ってことで。


 


 


流石に山ほど滑り止めを受けさせてもらいました。


 


早慶上理やMARCH、関関同立すべて受かりました。


やったね!


 


慶応が合格した時には、流石にいく大学決まってホッとしました。


 


 


3回目の京大の試験


 


前日はラウンドワンの隣のホテルだったのですが、流石に遊びたい気持ちはグッと堪えて二時間くらい勉強しました。


 


最後の勉強だと思うと、なんだかエモい。


 


当日


 


もう3回目なので、出町から最短距離で試験会場まで行きました


 


京大は集合時間がやたら早くて、待たされる時間(単語帳も見れない)が長いので、二日間とも試験開始のギリギリに入室するようにしていました。(遅刻といえば遅刻、いや遅刻。)


 


別に緊張しなかったです。


周りの受験生が可愛く見えました。


だって中三の時中一だからね、周りの大半。


 


 


いつも通りって感じで。


 


 


試験で落ちたら縁がなかっただけ、くらいにしか考えてませんでした。


 


あとむずい問題は、隣の子にとってもむずいし、斜めの女の子にとってもむずい問題です。


ただ出題されただけ。


 


 


 


 


結果は、医学部にギリ届かないくらいの点数で物理工学科に合格しました。


 


おいおい、1.2浪くらいで済んだじゃねえかよ、って今でも思ってます。


 


慶応受かった時の方が嬉しかったです笑


 


3回も受けた感想は、意外とこんな感じです(質素)


 


 


 


 


二浪して思ったのは、人間はかなりメンタルに作用されることです。


 


 


先人の言葉を借りると、定数ではなく変数に目を向けるのが大切だそうです。


 


 


一浪の僕は、定数部分を動かそうとして無駄に精神をすり減らしていました。


信号を待つ時間やお風呂の時間は削れませんし、電車は決まった時刻にしかつかないのです。


 


そんなことにイライラしても仕方がないです。がんばらないとかではなくて、無理なもんは無理。


 


自分や周りの限界を知ることで、メンタルは自ずと安定しました。


 


 


 


ちなみに、僕の周りにも二浪した人はいたのですが、メンタルがやられて、鬱になっている人も多かったです。


 


ただ、僕は二浪目も毎日も楽しく健康でした。スケボー楽しいし。


 


まあ、強いメンタルを持つようになったおかげで、大学に入った後でもかなり役に立ってます。


だって、2個下の子と同じ学年だし、部活だと2回生の先輩より年上だし、主任とか主将とは同い年だし。


 


 


二浪なんてのは、そんじょそこらのメンタルでは生きていけないので。


 


 


僕の長い受験のお話はここまでです。


 


 


 


最後に、三年間の受験の歴史で個人的に印象に残ってるエピソードを紹介したいと思います。


 


 


・一浪目のセンターリスニングテスト中に目覚まし時計3回鳴る


 


しかも、でかいタイプの目覚まし時計。おい勘弁してくれよ。


 


 


・一浪目の京大受験で隣48歳くらいのハゲちゃん、昼食に唐揚げ8個とドーナツ6


 


ジャンキーすぎんか、匂いきついし。


数学中に勝手にお茶なんだらあかんよ、おっちゃん。破天荒すぎやろ。


 


 


・二浪目の京大受験間違えて女子トイレ入る


 


現役でも間違えんわ、トイレ


鉢合わせた女の子ごめんなさい、ほんとに、悪気ないんです。


 


 


何個も投稿してしまい申し訳ありませんでした。


 


書くことが湧き出てくる感じで止まりませんでした。


 


 


合格体験記というよりも、僕の不合格体験記が誰かの役に立てば幸いです。


 


 


三浪の人の入学待ってます〜


 


 


明日の日記は、さくらにお願いしました。


 


 


2021-2022 全進


〜 第二部 一浪 〜


 


旭丘高校河合塾キャンパスに移動しました。(うちの高校は浪人率の高さゆえに4年制高校と言われ、四年生は河合塾キャンパスに行くのが定番)


 


 


流石に−120点で落ちてるので、プライドは一切捨てて、誰よりも勉強することを誓いました。


 


ほとんどの時間を勉強に費やし、トガリにトガリまくりました。


 


朝方生活に変えて、朝6時から勉強、電車は単語、誰よりも早く予備校の自習室に行って、一番遅くに塾から帰ってくる。


 


移動時間は勿体無いので、基本走ってました。


 


眠くなったら太ももにシャーペン刺してなんとしてでも寝ないようにしていました。


 


 


そんなこんなであっという間に夏がきました。


 


僕は『夏が受験の天王山』というのを信じていたので、とにかく夏に全力を出すと決めていました。


 


おそらく一浪の夏が人生で一番勉強しました


 


50日間分のスケジュールを分単位で決めて実行しました。辛いとか眠いとか考えてる暇があったらとにかく勉強みたいな感じで。


 


 


この夏に、初めて実践とオープンでA判定をとりました


 


 


正直もう勝ったなと思いました。


 


目標が手に届くとわかると僕はダメになるみたいで、ここからまたもやダレてしまいます。


3の反省を生かして学習しろよって話ですけど。


 


自習室には一番早くようにしていたのですが、授業後に友達とおしゃべりしたりするようになりました。


 


こういうのが一番だめ、ってわかってたんですけどね。


 


なんせ、河合塾には高校の同期が100人近くいるんで、友達だらけなんですよね。


高校のころの思い出話したりしちゃって。


 


秋の模試の結果はちょっと成績が落ちた気がします。


まあでもチューターとかからも「地球工か工化に引っかかるでしょ」って言われるぐらいの成績でした。


 


まあ、そんな感じでまたもやヌルっと受験突入


 


 


出願は京大工学部と早稲田


 


おいお前、滑り止めはどうした?ってお思いになられる方もいると思いますが、この頃の僕はトガリにトガっていたので、親にも「絶対に受かる」と言っていました。


 


だって、あんなに夏まで頑張ったんだもん。


 


京大受験へ


 


前日は河原町の古着屋を散策して、近くの穴場スポットで美味しいご飯を食べて、寝る前に一時間くらい勉強しました。


 


やっぱホテルは勉強できん


 


受験当日


 


朝からホテルの温泉に入ってゆっくり準備して試験に向かいました。


コンディションも悪くない感じ、イケる。


 


 


数学のテスト開始と同時に絶望


 


悪魔の2020京大理系は鬼の難化でした。


 


数学、英語、理科、全部むずい、


 


試験中ずっとパニックって感じでずっと嫌な汗が出続けてました。


あろうことか、最後の理科の試験時間、放心状態で天井を見上げてました。


 


完全に終わった、と思いました


 


悲しいとか悔しいとかを通りこして、虚無。


 


 


結果は『不合格』


 


 


全学部の合格発表を見ましたが、どこにも僕の受験番号はありませんでした。


 


まさか落ちるなんて思いもしませんでした。一年間ずっと京大のことだけを考えて、何十人もの合格体験記を読んで、勉強してきたのになんで。


 


 


今まで、一回浪人してると言えど、トントン拍子だった僕の人生設計は完全に崩れ落ちました。


 


いろんな人から連絡が来てましたが、全部無視し続けました。


 


そもそもこのまま生きる意味があるのか、とさえ考えました。


何もかもどーでもよくなるとはまさにこんな感じなのかっていう。

つづく

カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新コメント
[12/14 RobertBlifs]
[08/10 じろう]
[10/14 JnrcFraureFed]
[10/11 DanielSwemo]
[10/11 PeterSkill]
忍者ブログ [PR]