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昨日からインカレ組は別メニューで練習しています。(僕は今日から)
とりあえず今日のメニューから。
up 200*2 ch
50*6 drill
50*4 いつもの
ch 100*5 1'45
loosen 100*1
main 50*4*4 max 2'30 set rest 5'
down たくさん
耐乳酸でした。練習に参加してくれた馬場ちゃん、ひなちゃん、やっふーありがとう。
おーみも顔出してくれてありがとう。
少人数なので4回生が練習に参加してくれて非常にありがたいです。
去年もこの時期のインカレ組の練習は少人数ながらも非常に雰囲気が良くて楽しかったので、今年もそうなれば良いなと思います。
さて、先日の全国公をもって4回生の大半が引退しました。
卒業生の皆様には、応援に来て下さるだけでなく大会運営のお手伝い等もしていただき本当に感謝しています。おかげさまで4回生は最高の引退試合となりました。
今後は3回生以下が新しいチームを盛り上げていってください、よろしくお願いします。
僕は引退挨拶を本気で準備していなかったのでとりあえず水泳って楽しいねってことだけ喋ったのですが、引退間近の全国公で初めてこんな感覚を抱きました。
小1の時から選手コースに入って、特に楽しむとかではなく3人の兄もやってるし習い事の1つとしてなんとなく水泳やってました。練習きついな~って思いながら。
JOに初めて小6で出たときもいまいちよく分からなくて、うわー全国だーみたいな。(萩野公介が小4なのに最終組の真ん中で小5の子達をなぎ倒してるのだけはっきり覚えています。)
JOに出ても練習そのものは相変わらずきついなーと思いながら何となく続けてました。
全国の決勝で闘いたいなと中2、3の時頃は思ったもののそれは楽しいからではなく、名誉あることだな、とか自慢できることだな、って感じで。
水泳が好きで、だからもっと速くなりたくて、全国で、世界で、みたいな純粋な向上心ではなく、自分が活躍できるフィールドは水泳で、だから自慢できるくらいのレベルには到達したいなーって思ってました。水泳が目的ではなく水泳は手段でした。
JOで決勝に残ったときも、全中でリレーで決勝に残ったときも水泳そのものが楽しいと思うことはなく、そこから受験を言い訳に練習も片手間になり、高校のときにはどんどん周りに追いつかれて余計楽しくなくなりました。
個人で結果を残すよりもリレーの方が楽しいとか、制限を切ったり表彰されたりするのが楽しいとかはありつつも、水泳そのものを本気で好きになれず、それでも1歳から23歳の今までなんだかんだよく続けてきたなと。
関カレが終わってからは腰のせいで練習どころではなく、七帝も散々でした。
しかし、全国公の1週間前にひょんなきっかけからフォームを変えて腰の調子も良くなり、試合ではベストこそ出なかったものの七帝からは考えられないくらいの感覚の良さを得ました。
フォームを変えるだけでこんなに感覚が変わってしまうことが素直にすごいなと思い、試合中は楽しくて楽しくて仕方なかったです。
水泳の楽しさってもしかしたらこんなことなのかも知れない、少なくとも試合当日にフォームを変えてベストを出したりしてきた自分にとってはきっとこれが正解な気がします。
20日後の9月4日、インカレ最終日の100Baでベストを出して終わることで、この答えが本当の正解としたいなと思います。
引退日記 PART1
4回生マネージャーの野島です。最後の日記ついにキマシタ~。
更新が遅くなり申し訳ありません…。
今日のメニューは50分フリープランでした!
昨日まで引退の実感が湧かずによくわからん感情でしたが、最後の練習を終えて、炭酸水ぶっかけ合って、プールに放り投げられて溺れかけて、そのあと佳奈ちゃんと学校に9時間くらいこもって4回生宛のアルバム制作をして(まだ全く終わってないので泣きそうです)、ほかの4回生ズの引退日記読んで、ようやく実感が湧いてきました~。
遅くなったけどコメント書いたので、4回生4人は気が向いたら見といてください。笑
私が水泳部に入部したのは競泳4回生の中で1番遅くて1回生の10月頃でした。
大学入学当初は同志社の某お笑いサークルに入って、漫才ライブの裏方やってました。
お笑いはめちゃくちゃ好きだったし、それなりに楽しいサークルでしたが、同回生の人たちとなんとなく馬が合わなくて辞めました。
秋から入部出来るところを探していて、語学の授業で隣の席だった佳奈ちゃんが持ってた水泳部のビラに飛びついたのが入部のきっかけです。
バッタ専だった父親に「バタフライ教えて~」と頼んでもいつも「お前には筋肉ないから無理。」と断られていた小さい頃の記憶から「バタフライ=筋肉」くらいの乏しいイメージしか水泳にはなかったですし、マネージャーの経験もゼロでしたが、食事会や練習見学に行って部員の人たちと話をする中でここなら4回生まで続けられそうやな~となんとなく感じたので入部を決めました。
知らないことしかなかったので、1回生の頃は何もかもが新鮮でとても楽しかったです。
Desとかの練習でみんなが1本1本きっちりタイムを縮めながら帰ってくることにめちゃくちゃ感動した覚えがあります(笑)
ただ、中高文化部だったので練習中や試合前の声出しには若干温度差を感じて不安でした(笑)が、すぐ慣れたので良かったです。
2回生で佳奈ちゃんが留学行っちゃったので、寂しくてちょっとだけしんどかったです。
鴨川の橋の上で佳奈ちゃんから半年留学に行くことを聞かされた時のことは結構ショックだったので今でも覚えています(笑)
3回生ではIMのパートマネージャーになり、水泳に対する知識がより深まりました。マネージャーとして色んなことが求められて刺激の多い1年でした。去年の今頃は先輩がいなくなることが不安で不安で仕方がなかったです。
4回生、というか最上回生になってからは就活で練習休む日が多くなったり、合宿も行けなかったり、土曜に授業があるせいで試合にも行けなかったり、部活が中途半端な感じになってしまってほんとに申し訳なかったです。そして、いろいろな面で自分の無力さを感じた1年でした。
後悔のない1年にしようと思っていたのに結局悶々とした1年を過ごしてしまいました。
なかなか思い通りにはいかないですね。
ですが、水泳部に入ったことを後悔した日は1度もなかったです!
尊敬できる先輩方や楽しくおしゃべりしてくれる後輩たち、水泳部を通してでないと出会うことのなかっただろう他大の選手やマネージャーの方々、そして、ずっと一緒にいて飽きない同回生たち、たくさんの素敵な人たちに出会えたので!べたですみません(笑)
かけがえのない日々をありがとうございました。
私が3年間笑顔でいられたのは皆さんのおかげです。
残り2日お付き合いよろしくお願いします。
明日明後日に向けて準備してくださったOBさん方や1~3回生、本当に本当にありがとうございます。
全国公、思いっきり楽しみましょう~!!
Go 京大!!!
4回生の馬場です。ついに引退日記を書くときが来てしまいました。
この3年半長いようであっという間でしたなんて言えるのかと思っていましたが、いやー長かった。あっという間じゃなかった。今はちゃんと引退できそうでホッとしています。
今日のメニューは
40分フリープランをして、15mと25mのDiveをしました。
全国公前ということで調整メニューでした。
あと1日しっかり調整して臨みたいと思います。
さて引退日記ということで、今日書くのは少し前に決まっていたのですが、
院試が昨日だったので結局何を書くか考えていませんでした。院試お疲れ俺。
せっかくなので僕のいままでの水泳人生について少し振り返ってみようかと思います。
よく覚えていないのですが水泳を始めたのは小学校に通う少し前からだったと思います。
保育園のゆり組のとき、友達のO串つくし君から誘われてリョーユースイミングスクールに通いました。つくし君がいなければ今この場にいなかったと思います。ありがとう、つくし君。
リョーユーはそれほど厳しくなく、選手コースとかも特になかったのでゆるりと水泳をしていました。
中高もその調子のままゆるりと続けて引退しました。
大学でもゆるりと水泳を続けようとしていたんですが、Mコノスは泳ぐというより喋る目的で少し違うかなと思い、第2回BBQで伸祐に馬場ちゃんも入るの決定やんなと言われたのをきっかけに入部を決めました。
入部してみて気づいたんですが競泳ってすごいしんどい(笑)。
小中高とゆるりと水泳を続けていた僕には京大水泳部の熱量、練習のハードさは今まで体験したことがなく、すごい世界もあるもんだと思う一方で3年半もこれは無理やと思う日々でした。
でも無理じゃありませんでした。部を続けていく中で心身共に成長できたからだと思います。
脳にも筋肉つくから、後輩の皆はちゃんと筋トレしろよ。
今この3年半を振り返って、僕の水泳をする原動力ってなんだったのか考えると、1番は「劣等感」ですかね。
1年生の頃、他の3人がレギュラーで練習をしているのを横目に同回でただ1人強化練をしていました。悔しかった。この頃から僕の目標はレギュラーをとることになりました。
2年生の頃、京選が終わった4日後の木曜日中央食堂の入り口前の坂道、内田さんからの競泳メーリスで僕のレギュラー入りが叶わなかったことを知りました。おそらく京大水泳部に入って競技面で1番辛かった瞬間です。
それでも練習に行こうと思えたのは、ある人から説教されたからでした。感謝しきれません。でもやっぱり悔しくて、やっぱり3人は正レギュラーとして活躍する中スタンドで応援するのは辛かった。結局この年は七帝と関カレ(しかも1部)で200mFlyを泳がせてもらえました。が、やっぱり悔しい気持ちは消えなくて。
3回生の頃、レギュラーをとることが出来ました。しかし、他の4人はインカレに出場するべく合宿に行ったり、インカレに向けた練習をしていて、それを横目に僕はまた同回でただ1人でした。悔しいというか、寂しいというか。去年のインカレ応援の辛さと言ったらもう。同回の活躍を観るのはとても誇らしく、反面とても切なかったです。これをきっかけにインカレに出たいと今まで以上に思い始めました。
4回生の今、インカレ出場の夢は終ぞ叶いませんでした。
さて、僕の水泳人生を簡単に振り返ってみましたがどうでしたか。
2回生のとき、当時4回生だった曽根さんが「何をするにもきっと後悔することになるから、その後悔が少しでも小さくなるようにする」と仰ってました。違ったらすいません。
僕は今まで少しでも後悔が小さくなるように頑張ったつもりでしたが、まあ上記の通りでした。
他にもバッタ面のパートリーダーとして後輩を速くしてやれなかった事や、最上回生としてもっと部を活気付けたかったなーとか、先輩とも後輩とももっと話したかったなーとか、笑っちゃうくらい未練ばかりです。
結局悔しいこと続きの3年半でしたが、自分の泳ぎを真剣に考えるのはとても心地よく、苦しく、実りある日々でした。
入部したときは、引退までに歴代に載れればいいかなとか100mで1分割れればいいかなとか低い目標でしたが、歴代に載って1分を割って速くなればなるほどインカレに出たいとか表彰台に乗りたいと言った高い野望を抱くようになれました。上に行けば行くほど強い渇きを感じました。
「月に手を伸ばせ たとえ届かなくても」
僕の好きな言葉の1つです。この言葉が深く沁みました。
ゆるりと水泳をしているだけでは絶対に抱くことの出来なかった大きな目標を持つことができ、達成できなかった悔しさを知れたことは、僕にとって大きな収穫になりました。これからの人生でも常に上を目指して歩いていける人間になれました。きっと他の人には普通のことなんだろうけど、僕にとってはもの凄い成長です。ありがとう京大水泳部。
そして、ああなりたいと素直に尊敬できる先輩、なんだかんだ一緒にいて楽しい同期、小憎たらしくも愛らしい後輩、ともに競いともに泣いた好敵手に出会えました。
入部して本当に良かったです。
同期の中で僕だけ一際長い日記を書いてしまったような気がします。
まあでもこれで引退挨拶が同期と同じくらいの長さになるかな笑
昨日誕生日だったおーみを載っけときます
それと僕の今のiPhoneの壁紙です。いい写真やー
明日は野島さんが最高に熱い日記を書いてくれるそうです。期待してます。