[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
お疲れ様です。律希です。
ただいま広島を過ぎたところです。やっとしんじが引退日記をあげたので、僕も書き始めようと思います。ちなみに引退日記の順番は、初日記の順番の逆になっています(しんじだけ院試のため例外)。
それでは、早速今日のメニュー
テーパー
でした。いつも通り和田りゅー作のテーパーです。大事な試合の前のテーパーはいつも和田りゅーに任せてました。試合の結果が悪くても和田りゅーのせいに出来るからです。笑
というのは冗談として、一応1番距離泳ぐことになる和田りゅーの好きにやってほしいっていう思いと、そんな和田りゅーのメニューだったらみんな安心して試合に臨めるかなと思ってたからです。今日もしっかり調整できましたか。移動が長くて大変ではありますが、そこら辺は上手くやって全国公組はしっかりかっこいいところ見せたいですね。
僕自身は、過去最高ぐらいに調子はいいので、大ベスト狙います。今は引き継ぎと個人のタイムはほぼ変わらないので、1秒ぐらいベスト出したいし、出せると思ってます。
それでは、明日からの現体制最後の試合頑張っていきましょう!!
Go!!京大!!!!
はい。これで終わりというわけにも行かないので、書きますね。
僕も、他の同期みたいに自分語りして精一杯気持ちよくなろうと思います。主任として、そして一選手として。
1回生。憧れの京大水泳部に入れてただただ嬉しかった。僕が、京大水泳部の存在を知ったのは高2の兵短でした。そのとき、顧問の先生に、
「やっぱり京大の水泳部は違うな。昼休みにも時間空いてたらちゃんと泳いで、応援もちゃんとして。長田もああいうチームを目指さなな。」
と言われました。僕が京大水泳部に興味を持ち出したのはそこからです。スイムレコードを調べてみたら、めちゃめちゃ速い人ばっかりで、関カレのタイム見てたら、国公立で一部にいるのは大教と京大だけで。しかも、その一部で戦えてる。豪さん、古渕さん、健さん、清水さん、開一さん、そして尚輝さん、雄平さんは入部前から知っていました。特に、尚輝さんには本当に心底憧れていて、こんな風になりたいと夢見がちにいつも思っていました。京大水泳部に入りたくて、京大に入ったと言っていいでしょう。なんとか1年の浪人期間を経て、京大に合格し、潤には先を越されましたが、同期で2番目に入部届けを書きました。幸せでした。みんな、ダサいダサい言うけど、僕は京大のスラッとしたジャージが他の国公立大とは違ってかっこよくて大好きでした。
ただ、実際に始めてみると辛いことの方が多かったです。特に当時の潤は僕の中では、本当にキラキラと輝いていて、僕はその影にいるような気分でした。本当に劣等感しかなかったです。とは言っても、当時の同期は本当に遅かったので、自分だけが遅いと言った感覚はなく、比較的気楽に水泳やってました。
ただ、3月のプチオフで肩を怪我して、全く泳げなくなり、そのままの状態で行ったゾンタックでは当然泳げるわけもなく、何も楽しいわけがなく、でもみんなは楽しそうで、側から見てみると、水泳せずに遊んでるだけに見えて、なんやこの部活、おもんな、辞めようって、割と本気で思ってました。帰りに同期と飯に行ってなかったら、そのまま普通に辞めてたと思います。そんな感じで、同期といるのは楽しかったけど、依然部活に対しては不信感というか、全然楽しくなくて、でもそんな気持ちのまま新歓副隊長やってて、好きでもない部活の勧誘してるの本当に今思えば滑稽ですよね。
あんなに大好きだった京大水泳部をすっかり嫌いになってた僕は、GW、神大の強化練に行きました。
これが本当に楽しくて。神大最高。ってなってました。笑 今の僕からは想像つかないですよね。でも、こんな時からふと、チームとはどうあるべきかについて漠然と考え始めてた気がします。そうした、チームへの不信感みたいなものから、少しは自分でなにかを変えたいと思って、当時レギュラーに擦りもしていないのに、強化練を仕切らせてもらいました。
やっぱりレギュラーじゃない奴が作るメニューはあかんな。
今日、レギュラー組の方がしんどくね。強化練楽すんなよ。
とか、色々言われることもありました。自分で仕切ると言っておきながら、その逆風は思ったより強くて、精神的にしんどかったです。でも、だからこそ、絶対に結果出して見返してやるという精神力だけで何とか頑張りました。強化練明けのプレインカレでMVS貰えたときは本当に嬉しくて、京大水泳部に入って初めて自分の存在価値が認められた様な気がしました。
そこからのことは大体これまでの日記に書いた通りです。
http://kust7188.blog.shinobi.jp/練習/12-4%20僕らはそれでも願ってしまう
http://kust7188.blog.shinobi.jp/練習/8-3%20強化練%E3%80%80ごぜーーーんれん
チームで泳ぐ意味、わざわざ朝早い時間に泳ぐ意味がわからなくなって、1人で京大プールでお昼に泳いでた時期もありました。どうしても練習行きたくなくて、サボった日も何度もあります。
本当にどうしようもない。情けない限りです。
それでも、僕が主任になりました。これだけダメな部分をさらけ出したのでわかってくれると思いますが、謙遜でもなんでもなく、僕は主任をやるような人間ではなかったです。
なんで自分が主任なのか。
何度も、何度も何度も何度も考えました。
でもその答えはわかりませんでした。最後まで。
分からないから、
自分らしく精一杯やることしか出来ませんでした。
頑張りたいときに頑張れたとき
頑張りたいのに頑張れなかったとき
そもそも頑張る気がなかったとき
頑張っても結果が出ないとき
頑張ってないのに結果が出たとき
頑張ったら結果が出たとき
全て経験した、僕だからこそできることがあるはずだと信じてやってきました。どうだったでしょうか。うまくできてましたか?
和田りゅーが競技面でチームを支えてくれていたので、僕は精神面でチームの支柱であろうとしました。何が起きても自分だけは動じずに、強くあろうとしました。
実際、自分の姿がみんなからどのように見え、何を感じていたかはわかりません。でもそんなみんなのおかげで何とか1年やってこれました。
これは関カレ前日の日記に書きましたね。
阪大、神大を始め、他の国公立の主任は本当にすごい奴ばっかりで、他大と交流するときは常に劣等感を感じていたし、対抗戦では何もできない自分に無力感しかなかったです。こんな自分が主任で申し訳ないって思ってばかりでした。
でも、そんな弱い自分なりに必死に1年間やってきたつもりです。こんな自分だからこそ、こんな自分が頑張ることで、みんなの少しでも励みになったらいいなと思ってやってきました。おこがましいし、ただの自己満足に過ぎないかもしれませんが、それなりにやりきったという思いでいます。
しかし、チーム目標は何も達成できませんでした。これは紛れも無い事実であり、ひとえに僕の力不足です。
もっと何かできたんじゃないか、いや何もできなかった。ほんとにそれでよかったのか、いやあれしかなかったんだ。この正解のない暗い海を僕はこれからも漂い続けるのだろうと思います。
でも、後輩のみんなにはまだ先があります。完全にとはいかないかもしれないけどこの悔しさを少しでも晴らすことが出来ます。来年、再来年と強い京大水泳部を取り戻して下さい。無責任な言い方になるかも知れませんが、君たちなら出来ると僕は信じています。決して楽な道のりではないでしょうが、険しい道の歩き方は僕なりに示してきたつもりです。どうか最後まで諦めずに、考えて、後悔しないようにひたすら考えて、努力して、本気で努力して、挫けても立ち上がって、栄光を掴み取ってください。
頑張れ。あとは託します。
他にも言いたいことはあったりするんですが、もう満足しちゃったのでここらへんで終わろうと思います。気になる人は全国公中でもコンパの時にでも話しましょう。
最後になりましたが、
先輩方
上に書いた感じだと、すごい京大水泳部が嫌いだったと思われそうですが、僕は京大水泳部が大好きでしたし、だからこそ守りたいと思って、1年間「威新」というスローガンのもとやってきました。結果、先輩方が積み上げてきたものを、崩してしまい本当にただただ申し訳なく思っております。一選手としても、最後まで遅いままで、歴代記録にすら名前を残せず期待された速い選手にはなれませんでした。すいません。先輩方の姿はいつまでも僕の憧れであり、どんなに遠く離れていてもその背中が大きくて偉大だったから、僕らは目指すべき姿を見失うことなく何とか4年間頑張ってこれました。本当に感謝しかないです。ありがとうございました。
後輩達
こんな僕について来てくれてありがとう。みんなの存在があったからこそ、僕は頑張れました。僕を主任たらしめてくれたのは間違いなくみんなの存在です。みんなの主任やれて僕は幸せでした。本当にありがとう。月並みな言葉ではありますが、これからどんどん速くなって、水泳を楽しんで、いい水泳部を作っていってください。応援しています。
同期
この同期じゃなかったら、辞めていました、間違いなく。本当にいい回生だったと思います。僕を主任に推してくれて、そして支えてくれてありがとう。僕はみんなが大好きです。
はい。以上です。
これで終わっちゃいます。今まで日記は好きな様に書いてきましたが、今回で終わりです。寂しいですね。最近、日記が軽く見られているような気がしますが、日記というのは普段なかなか言えない自分の思いとかをみんなに共有できる素晴らしいものです。もっとみんな素直に想いをさらけ出していいんですよ。京大の日記は、他の水泳部のブログとは違って独特の雰囲気があります。どうかこれからも日記は大切にしてください。
とにかく最後に僕が後輩たちに伝えておきたいのは
「後悔しないためには、死ぬほど考え続けろ!
全ての行動に根拠を持て!
そして、どんなに挫けてもすぐに立ち上がれ!」
です。強くあれ、後輩たちよ、京大水泳部よ。
はい。本当にこれで終わりです。
今まで本当にありがとうございました!
これにて僕らの代はおしまいです!クソ長い引退日記ばかりで読むのしんどいとは思いますが、みんな寂しがり屋なので気が向いたらコメントしてあげてください!
それでは全国公盛り上がっていきましょう!
Go‼︎京大!!!!
京都大学体育会水泳部競泳主任
清水律希
2018-19 威新
完。
主将 竹内伸志
お疲れ様です。和田です。
今日のメニューは、
w-up いつもの
agility 20*4 float-10H-turn-10H
dive 15*1 + 25*2
kick 100*4 EN1 + 100*2 EN2 + 50*6 des to H,E,25H,H
pull 200*3 EN1
swim 100*6 fr,IM,ch/t
dive 50*4 E,25H,E,H
down 400*1
でした。
全国公まで‘まだ’3日前なので、今日は抜きすぎないように、メニューを組みました。最近、水温が高いですが、speed出すところ、回転を上げるところでは、集中して取り組んで、キレを上げていけるようにしましょう。あと疲れはしっかりとりましょう。明日・明後日は距離・強度落とします。
はい、で、そのー、今日はどうやら引退日記を書かないといけないみたいです。ラスト声出しをしたらしいですが、ラストって感じしませんでした。全国公の5日後に西医体もあるし、あと学生生活は2年あるし、医水からたぶん大会も出るし。だから、余計に引退する感じがしないです。
でも引退するらしいです。
このアプリで、ラストイヤーの日数を数えていました。1年はあっという間に過ぎましたが中でも特にラスト100日はとても早かったです。
今の3回生は、次が最後の年になると思います。夏までの日数は意識しつつ、でも焦らず、1日1日大切に頑張ってほしいと思います。
ここから少しだけ、自分の話をしようと思います。
4年間、特に真ん中の2年間は、勉強と水泳の両立が大変でした。今ではその時のきつさはあまり覚えていないですが、試験前は、練習でも、うーうーうなっていたと思います。不快に感じさせていたらすみません。
朝練行って、図書館にこもって試験のために勉強しての繰り返しはきつかったです。医学科で体育会の水泳部にいらっしゃった先輩はここ最近はいらっしゃらず、カリキュラムも改訂し、授業と試験が詰められて、留年するのではないか?とまあまあ不安でした。
それでもなんとか乗り越えられました、留年せずにここまで来れました。これは、周りからの激励と、周りの理解があってこそだったと思います。本当にありがとうございました。特に律希には強化練とか、メニューの組み立てとかいろいろ仕事を引き受けてもらいました。ありがとう。
こういうわけで、勉強するより、泳ぐ方が断然楽しかったので、4年間、練習は楽しかったです。
それとそもそも練習自体が結構好きでした。
スプリンターの先輩方にもENだったら勝負できた気がするし、スプリントは高校までの練習が甘く、大きな伸びしろだったのと、チャレンジャーとして、誰かに挑むのが楽しかったです。
後輩のみんなには、嫌いな練習、苦手な練習はあると思うけど、自分には必要でないからと簡単に排除するのではなくて、しっかり目的・目標を持って、前向きに取り組んでほしいなと思います。
今の京大水泳部には、いろんな種目を、いろんな距離を、どれもある程度高いレベルで泳げる人が求められているように思います。他大には結構そういう人が揃っているように思います。
リレーはそれが顕著に出ます。あと1or2or3年間リレメン入る人は、自分が一番練習頑張るんだと思って1日1日頑張ってほしいです。
チームの代表として出るのは、点数へのプレッシャーや独特の緊張があると思うけど、とても誇らしいし、勝った時の嬉しさはとても大きいものです。それらの感情を楽しみながら、頑張ってください。
そのチーム事情とは別に、いろんな距離のいろんな種目を伸ばすことは、一番本命の種目を伸ばすことにもつながると思います。
実際、2回生の途中までIMをしてたこと、メリレでflyを泳いだこと(1バタ出てたこと)、4継でインカレ目指したことは今の自分の200,400,800,1500frにいきているなと強く感じます。
あと、S1ばっかり試合で出続けるのは、しんどい人もいると思います。気分転換がてら他種目に出るのは良いと思います。ただ、出るからにはしっかり練習しましょう。
まああと言いたいこともあるにはあるけどまとまらないので、引退挨拶か、全国公コンパか、個別に話すかしようと思います。
最後になりますが、4年間で携わってくださったすべての方々に感謝致します。ありがとうございました。引退後もよろしくお願いします。
あと3日調整して、全国公でのラストレースは、決勝で締めたいと思います。
それでは、同期に比べるとめちゃくちゃ短いですが、このへんで終わろうと思います。
京都大学体育会水泳部
和田竜太朗
2018-19 威新
お疲れ様です。藤本です。
いよいよ引退日記です。いやー、早い。数えてみるとこれまで34回も日記書いてました。自分の想いや考えを言葉にするのが苦手な僕は、毎回うんうん唸りながら何時間も書けてペラペラな日記を量産して参りましたが、やっと最後です。頑張って書くので最後まで読んでもらえると嬉しいです。そしてコメントもらえると喜びます。
果たしてこの引退日記、何日で書き切ることができるのか…??(ちなみに現在投稿日の2日前)
それではさっそく今日のメニュー(made by りつき)
いつものアップして、
ドリルして、
ダイブ25×2して、
Broken×2(set on 20')して、
ダウンして終わり
でした。
今日は鮎子さんが練習に来てくださいました!ありがとうございます!!練習はあと3回、よりたくさんのOB・OGさんが来てくださると嬉しいです。
内容は試合前恒例のブロークンでした。100,200,400から自分が好きなのを2セット選んでやりました。僕含めラストブロークンの人もいましたが、最後に気持ちよく練習ベスト出せたのは良かったです。僕は100を2セットやり、1本目と2本目で少し配分を変えてみたところ、結構はまった感じがしたので、全国公、今からとても楽しみです。他にも調子良さげな人が結構見受けられました。明日からテーパーに入るので3日間しっかり調整して鹿児島に乗り込みたいですね。
そして、今日のメニューが律希’sラストメニューでした。1年間ほんまにお疲れ様。
みんなが速くなるために毎日練られた、楽しいメニューを作り続けてくれた律希とワダリューには感謝しかないです。ありがとう。
練習についてはこのぐらいで。
さて、それでは書いていきます。
僕は幹部とか重要な役職はやってこなかったし、副主任も途中でクビになった(あの節はすみませんでした)ような人間なので、部の運営とか部員としてこうあってほしいとか、そういったことをここで書く資格はないし、その辺は他の同期が書いてくれると思います。だから、一選手としてこの四年間で学んだことを、主に後輩に向けて書いていければなと思います。
よく、「なぜタイムを伸ばせたのか?」と聞かれることがあります。日記の質問でも1度答えました。高校のベストから今まで100は9秒、200は17秒伸びました。元がそんなに速くなかったってのも大きいですが、それでも伸ばせた方だとは思いますし、ここまで持ってこれたことは自分の中では割と誇りになってたりします。
前に日記で聞かれたときは、「環境に引き上げてもらった」と書きました。タイムを伸ばせる環境が整っていたという意味です。先輩方に泳ぎを一から教えていただいて、レース動画を何度も見直して反省することが出来て、自分で何の知識もないままメニューを作っていた高校の頃と違って、ちゃんと速くなるためのメニューがあって。
当然ながら万人が絶対速くなれる裏ワザみたいなのはなくて、人それぞれに伸ばすべき長所・直すべきところがあって、そういった自分の泳ぎと向き合い続け、正しい方向に努力を積み重ねることでしか速くはならないです。それがすべてだと思います。だから、一概にこれやったら速くなったしオススメなんてことは言えないです。
でも、練習や試合における心の持ちようとかは万人に言えるところも大きいと思います。僕自身この4年間ここについて学んだことが大きかった。なので、そういったことについて、僕がこれはやって良かったな、逆に、こういうところが良くなかったなと感じる点を、主にラストシーズンの反省を踏まえて書いていこうと思います。
まず良かった点その1は、主体性を持って取り組めるようになったこと、です。
当たり前のことと思うかもしれませんが、実際これを常に徹底してできてる人って意外と少ないんじゃないでしょうか。僕も大学入るまでは全然できてなかったし、大学に入ってから少しはマシになったものの、受け身な部分もやっぱり多少はありました。
もともと水泳は3歳からスイミングでやってて、小学校の時は落ちこぼれながらも選手コースで泳いでいました。この頃は練習がしんどすぎてゴーグルは涙で溢れ、練習後に食べるソイジョイが唯一の楽しみでした。主体性は限りなく0でした。練習は楽しくないし、やらされてる感しかなくて、ただただ早く帰りたくて、そりゃ速くなるわけない。
中学は水泳部がなかったので陸上をやり、高校から水泳部に入りました。メリレ足りないってことでBaを泳ぎ始めました。この頃には水泳は楽しくなってて、自分の意思で取り組めてはいました。ただ、速くなることに貪欲にはなれていませんでした。今思うと思考放棄してただ練習を頑張るだけになってました。最初こそタイムは伸びたものの、後半は全然でした。
大学は、高校までと違って、部活に入らないからって浮くわけじゃないし、バイトにサークルに恋愛(?)に、と他にも楽しいことはいっぱいあります。そんな中でも僕たちは、毎朝眠い目をこすってプールへ行き、しんどい練習をやって、土日返上で大会に出たりしてるわけです。強制されてるわけでもないのに。それはなぜか。部活が楽しいからってのも勿論あると思いますが、もっと根本的なものとして、速くなりたいから、ですよね?速くなってあいつに勝ちたいとか、速くなってインカレに出たいとか、その先は色々あるとは思いますが、速くなりたいという想いはみんな共通だと思います。でも、朝眠いとき、練習がしんどいとき、その気持ちが薄れて、受け身でメニューをこなすだけになってる瞬間がありませんか?練習以外の時間でも、自分から知識を得ようと、身体の構造を勉強したり、速い人の泳ぎを分析したり、自分で分からない点はアドバイスをもらったりと、やれることは山ほどあります。速くなりたいのはみんな一緒、そこから、速くなることに対してどこまで能動的に、貪欲に、時間・労力を割けるか。僕は昔よりは貪欲に取り組めるようにはなり、その分はちゃんと伸びました。でもまだまだやれることはあったと思うし、ラストイヤー伸び悩んだのがそれを表してるなと思います。
羽根付き屋外長水で毎日考えられたメニューで練習できて、レース動画は撮ってもらえるし、練習タイムも取ってもらえて、パートミーティングという意見交換の場もあるしで、速くなるための環境は十分すぎるほど整っていると思います。それを生かすも殺すも自分次第。3年半は長そうに見えてあっという間です。後輩のみんなには月並みですが、使えるものはすべて最大限活用して、1日1日を出来るだけ後悔なく過ごしていってほしいなと思います。
つづいて良かった点その2は、メンタル面で成長できたこと。
言っても豆腐メンタルなんですけど、4年間で木綿豆腐ぐらいにはなったと自分では思ってます。入部したときはホントに雑魚メンタルで、レース前は緊張しすぎてお腹痛くなるし、泳ぐ前からタイム出なかったらどうしようといったことばかり考えていました。そんな僕でしたが、この部で色々な人の考えに触れ、プレッシャーに打ち勝ち泳ぐ姿を見て、レースに臨む心境はもちろん、普段の練習中とかの考え方も徐々に変わっていきました。特に2回生のときの追いコンで、健さんとお話しできたのは大きかったです。そのあと日記を読んだりもして、変わるきっかけとなった出来事でした。
ちょうどその時期は100Ba短水1分切りを目標にしていたのですが、アドバイスに従い、まず周りに目標を公言するようにしました。逃げ道をなくすって意味だけじゃなく、不思議なことに最初はちょっと無理かなと思っていた目標も、口にするたびに行けるかも!って気持ちになってきます。目標を公言できない理由として失敗したら恥ずかしいとか、口先だけになりたくないって言うのがあると思うんですけど、その時点で達成できない可能性を視野に入れてしまっているわけで、達成できなくても...って逃げ道があります。公言するのは自信の表れとも思えますが、公言することであとから自信になってくることだってあります。失敗したって誰も笑わないし死ぬわけじゃないんだから、目標シートに打ち込むだけじゃなくて、次のレース〇秒出しますって口に出して言う方が、達成できないかもって考えながらレースに臨むより何倍も良いですよね。
あとは、マイナス発言をなくすこと。受け売りばかりですみません。でも、これが僕的には一番変わったかなってところです。マイナス発言、例えば、アップしたけど身体全然動かん、とか、今日調子悪いわー、とか。思い当たる人、もしかしたらいるかもですね。僕もそれまでは、調子どう?って聞かれたら微妙です…みたいな返しをしてました。単に結果が良くなかったときの保険として言ってるだけで、そういう発言をして、そこから調子がさらに悪くなることはあっても、良くなることって無いですよね。ちょっと身体重いかなってときでも意外とタイム出ることもあるし、レース前に限らずマイナス発言はほんとに意味ないです。自分にとっても、チームにとっても。
これらの実践の成果として、春室2日目MRの前、緊張はかなりしてましたが、今まで1分切れなかったらどうしよう、だったのが、切ったあとの嬉しさを想像してワクワクしたりと前向きな気持ちに変わってました。そして、なんとかギリギリ1分切れました。タッチして掲示板を見たあの瞬間はこの4年間で、もっと言うと人生で1,2を争うぐらいに嬉しかったです。なにより自信になりました。こんな自分でも、本気になってやればできるんだと。
その後、3回生の夏は、ベスト更新→自信がつくの良いサイクルに乗ることができ、関国で人生初の決勝に残り、近国ではじめて表彰台に上ることができました。泳ぎの改善以上に、成功体験の積み重ねが自信となってメンタルを補強できたことが、この時期のベストに寄与していたと思います。
とまあ良い勢いのまま来ていたのですが、ラストイヤー、蓋を開けてみれば本当に不甲斐ない、情けない、悔しい1年になりました。
まず冬シーズン。
1分切りを達成したときから次の目標はインカレだというのは決めていて、春短でインカレを切る想定で、そこに至るまでの試合で出すべきタイムを設定しました。伸祐さんのインカレ切りの動画は本当に何度も見ました。インカレ切ると言い続け、同期や先輩、後輩はじめたくさんの人に応援してもらいました。でも、切れませんでした。天チャのチャレンジレースが終わって、出し切れたし良かったと思おうとしましたが、やっぱりそんな風には片付けられなくて。今できる最高のレースはしたけれど、もっとやれたんじゃないかという後悔は尽きないし、期待して待っていてくれた人たちを裏切ってしまった申し訳なさは、どこかに行くことなく今も胸の奥にあります。
シーズン計画通りにタイムを出せていたのは最初だけで、どんどん広がっていく理想との差から、切りたい気持ちとは裏腹に、だんだん切れるビジョンが見えなくなっていきました。結局のところ自分を信じ切ることができなかった。自分で掲げた目標がいつしか重圧になっていて、天チャが終わったとき、ホッとしたような気持ちがどこかありました。それが本当に情けなかった。
そして夏シーズン。
僕はベストも出せず、勝たなきゃいけない相手に負け続け、チームは3部に落ちました。僕が取りこぼした数点を取っていれば、結果は変わってたかもしれない。そのときそのときでやるべきことは積み重ねてきたつもりだったけれど、やっぱりそういった後悔の念は消えないです。いくら僕たちが良いチームで、レースに至るまでにどんな過程があろうとも、結局は結果、数字がすべてで、僕たちがスポーツマンである以上、結果で示さなければ意味が無くて。がんばってきたことがすべて無駄とは思わないけれど、だからといって結果が変わるわけじゃない、そういったある種の無情さを痛感させられた試合だったし、いざ自分が当事者になると、スポーツってそんなもの、では割り切れない悔しさがあります。この悔しさ、後輩たちには絶対に晴らしてほしいと強く思います。
関カレを追えて1週間以上経ちますが、今でもずーんとのしかかってくる感じは消えません。でも、いま後ろ向きかというと実はそうでもなくて、まだ燃え尽きてはいなくて、絶対ベストで引退したいという気持ちから、全国公へのモチベは日々高まってきています。狙うは歴代5位、伸祐さんに勝つことです。短水路では勝てなかったですが長水路では勝って終わりたい...!あとはメリレ。関カレでの悔しさを全部ぶつけます。最高の引退レースにします。
特にラストイヤーは結果としては満足いくものではなかったです。でも、その過程は最高に楽しかった。インカレ出場をかけて何度もチャレンジさせてもらえたこと、京大水泳部の名を背負って他大のライバルたちと決勝で戦えたこと。この部に入るまでは想像もつかなかったような、最高に刺激的な経験をたくさんさせてもらいました。まず一選手として、本当に充実した幸せな時間を過ごせました。
振り返れば入部してから今まで本当に色んなことがありました。
芳賀さん、島岡さん、伸志と行ったアッシュフォークで、ギャ◯グと迷う伸志の横で入部届けを書き、お前マジかみたいな感じの顔をされたあの日が、つい最近のことのように感じます。遠征、合宿、NF、日々の練習、プールサイドでした何気ない会話、そのどれもが濃く、熱く、そして輝く一生の思い出です。長かったようであっという間の、全力で駆け抜けた3年半でした。
引退を迎えるにあたって、いま僕の心を占めているのは様々な人たちへの感謝です。
この部活に入って、本当にたくさんの出会いがありました。そのどれもがかけがえのないもので、引退後もずっと、一生の宝物と言えるようなものばかりです。
部活内だけでなく、部活を通して他の大学とも繋がりができました。人見知りの僕はあまり多くの知り合いはできなかったけれど、合宿で、試合会場で話したり、SNSでその活躍を見て鼓舞されるような友人もできました。
特に一緒に練習したり試合同じ組で泳ぐ機会も多かった、きまちゃん、うっしー、晋ちゃんからはたくさん刺激をもらいました。見てるか分からないけど、ありがとう。
そして、部内。
先輩方、
みなさんのカッコいい背中を追い続けてここまでやってこれました。先輩方は僕の中でずっと憧れの存在です。面倒くさくて生意気な後輩だったかもしれませんが、泳ぎのアドバイスやご飯に連れて行ってもらったりと、受けた恩は数えきれません。特にBa面の先輩方には本当にお世話になりました。こんな僕にも優しくしてくださって、引退してからも気にかけてくださったりと本当に感謝しかないです。ありがとうございます。引退したら是非お酒でも飲みながらお話ししたいです。
後輩たち、
僕のつまらない話にもダル絡みにも付き合ってくれてありがとう。僕が先輩にしてもらったようにカッコいい背中を見せたいと思ってやってきましたが、みんなの僕に対する舐めっぷりからして、どうやら威厳は出せなかったようです笑。それでも親しみやすいって言ってもらえたりしたのは嬉しかったし、練習とかでゆーまさんって声かけてもらう度に元気をもらってました。みんな本当に、弟・妹みたいで、たまにナマイキなのもいるけど(日下とか日下とか日下とか)、やっぱりかわいくて、引退するのは寂しいです。あと数日、いっぱい喋りましょう。引退後もご飯行こう。
Ba面の後輩たち、
1年間こんな頼りないパートリーダーに付いてきてくれてありがとう。みんなを伸び悩ませてしまったこと、僕自身が結果で引っ張れなかったこと、本当に申し訳なく思ってます。今は少し苦しいかもしれないけど、あまり悲観しすぎず、まずは楽しむこと。考えることをやめなければ必ず光は見えてきます。心配が無いわけじゃないけど、きっとみんななら大丈夫と信じてます。応援してます。駿太はとっとと僕なんて通過点にして、早くエースになってね。
あとストロークレッジも大事に使い続けてあげてください。
そして同期たち、
(まだ終わってないけど)3年半ありがとう。みんながいてくれたから、この3年半は本当に本当に楽しかったです。一癖も二癖もある奴らの集まりだけど、このメンバーじゃなかったらきっと、こんなに楽しく充実した時間は過ごせなかったです。楽しいことばかりじゃなくて辛いこと、苦しいときもあったけど、みんなと話してると自然と元気になっていて、みんなの存在が僕の心の支えでした。萎えてるときの僕とか死ぬほどめんどくさかったと思います。でも、最後まで見捨てずに、優しく、ときには厳しく、親身になって接してくれて、みんなには感謝しかないです。良い同期を持ったなって心からそう思います。引退してもまた今みたいに集まって、何でも話せるようなそんな関係を続けていきましょう。
今まで本当にありがとう。これからもよろしく。
最後に父上、母上、
お金含めたくさん援助していただきました。本当はもっとちゃんと勉強してほしかっただろうに、怒ることなく、ずっと応援し続けてくれてありがとう。あと少し、ちゃんとやりきって、そして院試に受かってちゃんと親孝行します。(お金は就職したら返します)
たぶん読んでないので感謝の気持ちはちゃんと直接伝えます。
僕ひとりではここまで来ることなんて到底できなくて、関わってくださったすべての方々のおかげで、無事引退を迎えられそうです。皆さま本当にありがとうございました!ラストレース、最高の結果で締めくくって恩返しをします。
最後に写真でお別れです。
関カレ前の回生自撮り。お気に入りです。
Special Thanks, 伸志竹内。マジで悔しかったけどマジで嬉しかった1枚。
(保育園で出会い、今年で18年目ぐらい。すごいですね)
結局日を跨いでの更新となってしまいました。。申し訳ありません。
これで引退日記を終わらせていただきます。
それでは!
京都大学体育会水泳部
4回生 藤本雄磨
-2016 〔R〕+Evolution
2016-17 湧昇
2017-18 BIG WAVE
2018-19 威新
100×4 fr cycle in-5"s/set 1'25
1回生の時は、水泳もマネージャーも、なんならスポーツにすらちゃんと関わったことがなかったので、部活の雰囲気やマネ業に慣れるのに必死で役割とか考える余裕もなかったです。
3回生になって、チーマネになってからはマネの責任の大きさを実感しました。今までとは全然違いました。事務作業も多いし、マネチームをまとめなきゃいけない。細かな気配りも必要だし、ずっと気を抜けない。何よりもマネが練習を回してる限り練習に関しての責任はマネにあるし、自分がちゃんと回せていないと選手もいい練習ができるはずがない。しかも私の回生はマネ1人で、めちゃめちゃ責任感じました。ひたすら不安だった、、、