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4回生の愛甲です。これがついに最後の日記になります。長くなるかもしれませんが、退屈かもしれませんが読んでいただけたらと思います。
まずは今日のメニューから
up 200
50x6 drill
agilityx6
Dive 15x1 SL
25x2 SD
swim {200x1 IM,100x2 (50Fr+50S1)}x4set
swim 25x2x4 Drill,Form
Dive choice
Down 400
でした。
関カレが終わり、1日オフを挟んでから最初の練習でした。
三日間お疲れ様でした。今年は折悪しく台風により3日目の競技が短縮されるということもありましたが、例年同様に水球面をはじめ、一個上の代や二個上の代、さらに毎年来てくださっている多くのOB様方に応援にお越しいただきました。どうもありがとうございました。また、学連で今大会を取り仕切ってくれた芳賀、岡本、荻野、どうもありがとう。この大会のために影でかなり前から多くの時間を割いて準備してくれて、本当に学連なしでは成り立たなかったんだと痛感しました。
結果はというと、各種リレー種目や高野や和田のFr種目、Br種目などで点数を稼いだものの、その他の種目では惜しくも決勝を逃してしまい、目標の二部4位にはやや及ばず、二部6位、今年も二部残留という結果に終わりました。
僕ら4回生の代にとっての関カレはこれで最後になりましたが、来年は新たな代でまた新しい目標に向かって励んでいくことになります。来年は今年以上に厳しい状況での戦いになっていくと思われますが、どうか悔いの残らないように頑張ってください。
さて、これが最後の日記なので、何を書こうかとしばらく悩んだのですが、まだ10日ほど引退まで日にちがあること、そして脳裏にちらつく院試……によりなかなかしみじみとした文章を書くのは難しかったのですが、簡単に僕なりの大学水泳を振り返ろうと思います。
まずは1回生
とにかく調子に乗ってました。が、おそらく同回の中では一番早く練習に参加していました。京大に入ったらもう水泳部に入ることは決めていたため、当時の4回生にアポをとり4月の1日から、京都に引っ越してから三日後にはもう泳いでいました。当時は開一さんや啓太郎さん、山田なおきさんなど泳力面でも日頃の行い面でも尊敬できる激アツな先輩方がおられたので、生意気ながらも必死に食らいついていってました。
毎朝4時半に起きてこんな感じのスタミナ朝ごはんを作って食べてから練習していました。まぁ最初の一ヶ月しか朝飯は続きませんでしたが…。
2回生
水泳の、というか部活のきつさと戦っていました。部活が朝しかない。でも僕は朝が苦手…当然寝坊して練習に参加できないことが多く、それ以外でもいろんなことで先輩方に毎日のように怒られてました。でも水泳自体は楽しくできたと思います。泳げばベストがでるし、1ブレで歴代2位とったりしてとにかく勢いはありました。八月の全国公ではホーム京都で八舟さんの引退があり、僕が1回生の時のインカレ切りのレースをみたときは非常に感化されました。1、2回を通して互いに切磋琢磨していた存在がいなくなったのは寂しかったです。
3回生
シンプルに留年しそうだったのでずっと勉強ばかりしていました。ちゃんと勉強は1回生のときからして単位は揃えておくべきだと猛省しました…。
それでもやっぱり夏は楽しかった。色々と行事があるのも水泳部にはいる醍醐味だと思います。
そして8月の全国公では上の代が引退し、ついに最上位学年に。これからどうすればいいんやろうって途方にくれてました。
そして4回生
留年の危機はひとまず回避。しかし相変わらず朝が苦手でなかなか苦戦していましたが、ついにラストイヤーということで今までやってきたかな?メニュー作成を担当することもあり、水泳ってやっぱ楽しいんやなっと思いました。
全体を振り返ると、この3年間と少し、いろんな考えの人がいて、衝突することも多々ありました。反省をすることも多かったです。いろんな人のいろんな意見を聞き、自分の考えも入学当初と比べたら随分と変わって来たように感じました。しかしその中でも変わらない考えというものがいくつかありました。
そして、割と一人で泳ぐことも好きでしたが、この「水泳部」に属してする水泳は一人でやるよりもずっと充実していたと確信しています。
後輩たちに伝えることがあるとすれば、この水泳部という集団においてこそできることをどんどんやっていけばいいんじゃないかなと。人が多く集まると、一人でやるよりもいろんなことができるようになります。
ライバルを作ることは分かりやすい例だと思います。あいつに負けたくない。倒したいから頑張る。とか。幸運にも、僕は、勝ちたい、負けたくないと本気で思える仲間に恵まれてきました。多くの仲間と切磋琢磨することでここまで頑張ってこれたのではないかと思います。
また、意見が違って対立しても、それをしっかり話し合うことも大事だなと、時たま行われる回生ミーティングを通じて感じました。それで納得できれば考えを変えて、納得できなければ、そのままで。誰かがやれと言ったことが絶対正しいということは絶対なくて、結局は自分で決断していくべきものです。
そして、やはり1番大事なのは水泳を楽しむことだと思います!
僕は幼稚園の頃から水泳をしており、水泳歴は20年目を迎えますが、何度も水泳を辞めたいと思うほど辛く、キツイことは山ほど経験してきましたが、水泳の楽しさがあったからこそここまで続けてこれたのではないかと思います。人それぞれの楽しみを見つけること大事。
以上、長々と好き勝手に書いてしまいましたが、
まだ全国公と、(ジュンジュンにとってはインカレ)最後の試合が控えているので、そちらの方に残り少ない日数ですが心血を注いで参りたいと思います。あと十日ほどですが、全力で楽しんで行くので後輩たちはどうかあと少しだけ付き合ってください。
最後になりましたが、今まで応援し支援してくださった歴代の先輩の皆様、後輩、同期、他大の人たち、そして両親。ありがとうございました。本当は今まで僕と関わってきてくれた人たち全員とゆっくり話したいので、引退してから盃を交わしたいのですが…。引退後の楽しみにしておきます。
それではこれにて愛甲の引退日記を終わらせていただきます。
2017→2018 BIG WAVE
おはようございます。4回生の大和啓太郎です。
全国公が終わり、僕の水泳人生は幕を閉じました。
「どれだけ寝て起きても、もう早朝練で泳ぐことは無いんだな」と思うと、言いようのない寂しさを感じます。とんでもない寂しさを感じているここ2日間です。
新チームのみんなは昨日、東大戦ですね。
頑張っていますか?フルエントリー組の勝負の結果が気になります。笑
すでに引退となった身ではありますが、ここで引退日記を書かせてもらいます。
遅くなってしまい、申し訳ありません。
まずは全国公の総括より。
今年の全国公はここ数年で最も悪い結果に終わったと思います。
BEST率も総合順位も、本当に予想以上に崩れてしまいました。
現役は自分たちの結果として受け入れるよりほかありませんが、様々な形で応援してくださったOB・OGの皆様には、期待に沿う結果が出せず、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
もちろん、現役はOB・OGの皆様のために泳いでいるわけではありません。しかし、日ごろの感謝の気持ちは「口」ではなく「結果」で示すというのが、体育会としてあるべき姿です。その結果を最後の最後で示すことができず、主任として責任を感じています。
しかし、出てしまった結果は受け入れるほか仕方がなく、私も引退してしまったため、これ以降の結果で挽回することはできません。そのため、非常に無責任ではありますが、この「借り」は後輩のみんなが来年しっかり返してくれることを信じ、これからはチームの応援に徹しようと思います。後輩のみんなは、今年体感した「悔しさ」「むなしさ」「みじめさ」を忘れずに、それをバネにして来年ぜひ大飛躍してほしいと思います。今年の結果を今年の結果というだけで終わらせないでください。この結果を皆さんの新たなスタートにしてください。みんなに最高のスタートを用意してあげられなかったことがとても悔しいです。申し訳ないです。でも、みんななら来年必ずやってくれると信じています。ずっと応援しています。頑張ってください。
拙い内容ですが、以上を全国公の総括とします。
ここからは引退に際して後輩に伝えたいことを書こうと思います。
引退挨拶で何点か話したので、それ以外の事について書こうと思います。
まず1つ目は、「周りの人を大切にしてほしい」という事。
今回、自分の引退に際して感じたのは「周りの人に恵まれたな」という事です。
大会会場では本当に多くの人に声をかけてもらいました。
今まで共に競い合ってきた他大の仲間、一緒に泳いできた後輩、会場まで応援に駆け付けてくださった先輩、さらに今まで話したことの無かった選手にまで声をかけてもらい、自分はこんなにも多くの人に気にかけてもらえていたんだなと感じました。
僕は4年間で、人に自慢できるような結果は残せませんでしたが、こんなにもたくさんの仲間に気にしてもらえる選手になれたことは僕が4年間をかけて手にすることができた大事な宝物だと思います。
「大学水泳はチーム戦」とよく言われますが、真の意味でチーム戦ができているチームとはほんの一握りしかないと思いますし、京大水泳部もまだまだ高められると思います。大事なのは一人一人が互いの事をちゃんと知ること、知ろうとすることだと思います。これは引退挨拶でも話させてもらいましたが、自分の今の尺度で人を評価したりするのは非常にもったいなく、それでは互いに理解する事はできません。人がある状況に陥っているのなら、「あいつは○○だから」といって決めつけるのではなく、「なんで○○なんだろう」と共に考えることが大事だと思います。一人一人が互いに一緒に考えることで、少しずつチームの結束は強くなっていくとおもいます。
新体制のチームが動き出しましたが、このチームはこれからまだ1年あります。みんなはその時間を大切にして、来年の夏には「真のチーム戦」ができるチームになってほしいと思います。
2つ目は、「自分に正直に水泳をやってほしい」ということです。
このチームにはいろんな選手がいます。初心者から水泳を始めた人、レギュラー3枠に入ることを目指す人、関カレ決勝を目指す人、インカレ決勝を目指す人・・・。いろんなレベルのいろんなタイプの選手がいることが京大水泳部の良さだと思います。だから、みんなは自分が目指す目標に向けて、自分らしいやり方で、水泳をやってほしいと思います。変に背伸びをしたり、自分を大きく見せようとしたりする必要はありません。大事なのはどれだけ高い目標を掲げているかではなく、掲げた目標に向けていかに真摯に水泳ができているかです。
もちろん、高い目標を掲げるのは速くなる上で不可欠なことです。でも、その目標を本気で追う事ができず、口だけになるのなら、そこには何も価値がありません。たとえ少し低めでも、立てた目標に向けて自分に正直に、真摯に、全力で取り組む方がよっぽど意味があると思います。
チームにはいろんな人がいるから、自分より大きな目標を掲げる人はいるでしょう。でもそこで焦ってその人のマネをして受け身で目標を立てる必要はありません。自分が100%の力で追える目標を設定し、必ずその目標を達成し、それを積み重ねることで、最終的に自分より上の人を喰って行けばよいのだと思います。ですので、ぜひともみんなにはこの1年、自分に正直に、嘘のない水泳を全うしてほしいなと思います。
3つ目は「インカレに行く事の厳しさ」です。
これは主にインカレ出場を目標に掲げる選手に向けてになってしまいますが、インカレというのは本当に到達が難しい高みだと思います。
僕は2回生からの3年間、インカレ出場をずっと目標として掲げてきました。でも結局1回も達成する事ができず、僕は大ホラ吹きになってしまいました。これは僕が「インカレ」というものを最後の最後まで甘く見ていた結果だと思っています。
僕は4年間、常に先頭で練習することを意識してきましたし、練習も誰にも負けないように頑張ると強く思ってきました。だから、僕が練習で負けた人はほとんど居ないと思います。(「練習で勝つ・負ける」の尺度がそもそもなんなのかはわかりませんが…苦笑)だから、僕は「誰よりも練習をしていればインカレに行けるだろう」と結局最後まで思っていたのだと思います。でもそれは大きな間違いでした。
いつかは忘れましたが、僕は大海に、「正しい方向に努力してないと、どれだけ努力してもあんまり意味ないんじゃないですか?」と言われてハッとしたのを覚えています。あの言葉は僕に鮮烈なショックを与えてくれた言葉でした。どれだけ練習を頑張っても速くなるために本当に必要な練習をしなければ速くなれない、それが現実だと思います。「努力は必ず報われる」というのは、少なくともインカレという目標を目指す上では通用しないと思います。
以上のことはずっと先輩からも言われてきたはずなのに、後輩の大海から言われて初めてハッとする事ができました。器が小っちゃいですね。でも気付けて良かったと思います。気付くのが遅すぎましたが、最後のシーズンである程度タイムが伸ばせたのはそれに気付けて、それを実行できるメニューを開一が作ってくれたからだと思っています。だから、大海と開一には本当に感謝しています。ありがとう。
もう一つあります。それは「一人の人間としてインカレ選手になれる器になること」です。
先ほど僕は器が小さかったと書きましたが、僕はそもそも、インカレに行ける器の大きさにまで自分を強くできなかったなと思います。先輩方に「カス太郎」と揶揄されていた通り、僕は本当にインカレを目指す上で「カス」レベルだったのだと思います。それを先輩方はいつもいつも教えてくださっていたのに、気付けず、結局カスなままで終わってしまって申し訳ないです。ごめんなさい。
いくら練習が強くても、選手としての器が足りていなければインカレを切る事はできません。僕は結局ウェイトから逃げちゃいましたし、食生活や生活習慣も全然ダメダメでした。自分に対する厳しさも足りませんでした。そういうところをしっかり強くしていけなかったところがそもそもの敗因だと思います。やることをやっていないのだから、後悔する資格もありません。所詮、その程度の選手だったという事です。思うのは、これからインカレを目指す後輩に同じ道を歩んでほしくないという事です。今のチームにはインカレを目標にする選手も、実際インカレに行ける力を持っている選手も、たくさんいると思います。そのみんなには必ずインカレに行ってほしいと思っています。「カス太郎」と同じレベルで引退を迎えないでください。お願いです。僕の失敗が、今後の後輩にとっての悪しき例となって役に立つのであれば、僕も報われます。馬場ちゃん、雄二、菅野、竹政、じゅんじゅん・・・今後インカレを目指す後輩のみんな、かならず全国の舞台のスタート台に立ってください。
最後に、次の最上回生に向けて。
3回生は本当に良い回生だと思います。みんな仲良くて、お互いの事をよく知っていて、そしてみんな自分に対する厳しさを持っていると思います。みんなには、過去なんか気にせず、どんどん自分たちのチームを創り上げていってほしいと思います。「去年こうだったから」とか全部忘れて、自分たちが良いと思う事をどんどんしていってください。過去をぶち壊してください。そのパワーが3回生にはあると思います。後輩のみんなは安心して3回生についていってください。そうすれば必ず来年勝てます。絶対。
尚輝は僕と全くタイプの違う主任になるでしょう。すごい良いと思います。
尚輝や3回生のみんなは、それが自分たちのやり方なんだから、しっかり自信を持って自分たちのやり方を貫き通してください。僕のやり方で「違う」と思っていたことはどんどん後輩に発信して正していってあげてください。たぶん僕はたくさんの過ちを犯していたと思います。それを後輩のみんなに教えてあげてください。そしてみんなを成長させてあげてください。お願いします。無責任ではありますが、応援しています。
後輩のみんなは、最上回生にしっかりついていってください。
大丈夫です。3回生のみんなは間違えません。必ず正しい方向にみんなを導いてくれます。みんなは安心して最上回生の背中を追えば大丈夫です。全力で追いかけてください。決して「去年はこうだったのに・・・」とかつまらない考えを持たないでください。チームが強くなるためには「変化」が不可欠です。その「変化」が強くなるためのタネです。そのタネをつぶさないでください。頑張ってください。
今年達成できなかったことを、後輩のみんなが来年達成してくれることを信じています。そしてそれを達成できるチームを作る力が、3回生には十分すぎるほどあると確信しています。京大水泳部を1部に押し上げてください。応援しています。
ただ、3回生男子はマネージャーの二人をもうちょい大事にしてあげてね。笑
マネージャーの二人はご飯・スイーツはほどほどにね。笑
最後の最後に、僕の話を少しさせてください。
僕は幼稚園の年少組から競泳選手としてのキャリアを始めました。
来る日も来る日も練習して、小学生の間に夕方友達の家で遊んだのは指で数えられる程度でした。その成果もあってか、小学生の時は全国大会にも出場する事が出来て、そこそこの選手でいることができました。たぶんその頃はまだ尚輝ややっふーよりも速かったんじゃないかな。笑(←さっそく器が小さい)
でも、中学受験を経て水泳に帰ってきたときはすでに地区大会も突破できないくらいにまで取り残されていて、かつてのレベルには程遠いところまで自分のレベルは落ちていました。それから中高6年間は学校にプールが無い環境ながら、遅いながらも最高の後輩・最高の顧問とともに「水泳を楽しむ」という事をテーマに努力を重ねて、最終的にリレーで新人戦九州大会に行く事ができました。でも、やはり全国の舞台を踏むことは叶いませんでした。
僕は、大学で水泳をするつもりはありませんでした。もういいかな、と思っていました。しかし結局大学でも水泳をすることに決めたのは「全国にもう一度行きたい」という想いがあったからです。(あとは新歓で岳斗と(大学で初めての)友達になってしまってダル絡みされたからかな笑)僕は全国(インカレ)に出るために大学水泳を始めました。でも、結局出ることができませんでした。その上、主任としても目標としていた結果を出すことができませんでした。
僕は17年の水泳キャリアで、本当に酸いも甘いも、速いも遅いも味わいました。
本当に多くの経験をさせてもらいました。途中、水泳をやめたいと思ったことは何度もあったけれど、水泳が好きなまま引退できて、本当に幸せです。でもその一方で、最後に結果を残せなかったのが、とても悔しいです。でも水泳でこの「借り」を返す事はできません。だから、僕は今後の人生で少しずつ返していこうと思います。今後の人生がどうなるかはわかりませんが、これまで負けてきた人間よりももっと大きな人間になって人生を終えるときには、しっかり「借り」を完済できたと思えるように、今後頑張って行こうと思います。みんなが今後頑張る分、僕も頑張ります。だから、応援よろしくお願いします。一緒に、これからも、頑張っていきましょう。
この京都大学体育会水泳部というチームで、最高の仲間と共に、水泳人生最後の一年を戦えたことは自分にとって最高の幸せです。みんなありがとうございました。
そしてこれからもよろしくおねがいします。
以上を、僕の引退日記とさせてもらいます。
最後まで読んでくれたみなさん、ありがとうございました。
2014-2015シーズン
京都大学体育会水泳部競泳主任
大和啓太郎
P.S.
僕らの回生はまだ開一と奎吾が残っています。二人が有終の美を飾れるように、全力でサポートします。頑張ってください。
今年のチームはインカレまで続きます。インカレに出るメンバーのみんな、最後の大会で最高の結果が出せるように頑張ってください。僕に出来ることは何でも言ってください。浜松で笑いましょう。
強化練組のみんなは、近国が勝負です。みんなの記録、楽しみにしています。全国公の仇をみんなが取ってください。応援しています。
こんばんは。L主任の岡広です。京大水泳部最後の日記を書かせていただきます。
今日のメニューです。
Up 400*1 cho 7’
100*3 cho drill-form 2’
100*3*2 cho 25uwH,25H,F/t 1’50
Rest
Kick 100*2*3 cho cycle in 1’45(-5”/t)
Rest
Swim 200*3 IM des to EN3 3’
Rest
Swim 100*3 IM des to H 1’30
Loosen 100*1
Drill 50*4 cho drill-form 1’10
Rest
Swim 100*3 S1 H 2’
Loosen 50*1 cho 3’
Dive 15*1
25*1
Down 500
全国公に向けた追い込みのメニューでした。今月は試合ラッシュで、調整メニューも多かったのもあって、100のHardは1か月ぶりでした(たぶん)。体バキバキですが、今週を過ぎるともう追い込むことは無くなるので、水泳人生最後の追い込みだと思って、あと少しだけ耐えていこうと思います。
さて、僕は来週ある全国公で引退します。今まで中学高校と”引退”を経験してきましたが、今回は本当の意味で水泳を引退することになります。思えば16年間、水泳が完全に生活の一部でした。毎日のように練習に行き、嫌になるほどハードなメニューをこなし、土日は試合でつぶれ、長期休暇やGWは遊びにも行かず合宿に行って泳ぎ込み。そんな慌ただしい生活ともあと1週間でお別れ。なんか寂しいです。実感わかない。
振り返れば、水泳を通してたくさんの人と出会い、様々な経験をした気がします。
5歳で、地元のスポセンでやってた週1の水泳教室に通い始めました。案の定、運動神経鈍い僕はあんま上達しなかったんですが、そこの先生が僕の足首の柔らかさに可能性を見いだしていただき、その先生のスイミングクラブに入会しました。そこで初めて”試合”ってものを経験することになったですけど、臆病な僕は緊張で過呼吸になり50mのレースで途中で止まってしまう事が多かったです。たぶんその時ホンマに水泳嫌いやったと思います。それでも先生は僕のことを見捨てたりせず指導してくださり、何とか試合でフツーに泳げるようになりました。継続していく中で精神的にも強くなり、半フリで割と早い方になるまで成長できました。(←僕元々半フリの選手だったんですよ!!笑)
地元の広島で、小学生最高峰の試合、県学童選手権というものがありました。毎年レベルが高く、強いクラブチーム通ってた人でも決勝に残るのは難しい試合でした。表彰台なんて夢のまた夢。でも200Flyだけ毎年2人か3人しか出てなくて、一発決勝だし、表彰台も可能性があるかもと考え、小6の時出場しようと決めました。そんとき50しか出たことなかったのに(笑)200Fly出るって伝えた時の先生の表情をものすごくよく覚えています。びっくりたまげて、呆れ返ってました。しかし先生は僕のために2バタの特別練習までしてくださり、何とか無事200Fly泳ぎ切ることができました(結局その年は7人出てて4位でした)。
そんで中学から地元の強豪スイミングクラブに移籍したんですが、50Fr100Frで伸び悩み、低迷していました。悩んだ挙句、専門種目を100Fly200Flyに変えました。小6の時200Fly出た経験があったことがこの決断を後押ししてくれたのだと思います。そこから僕の水泳人生でバタフライの章が始まったのです(ちょっとカッコよく言ってみた)。
あの時、先生に出会っていなかったら今頃水泳やってなかったと思いますし、200Flyやるって言い出さなかったらFlyに転向せず50Fr100Frで沈んだまま水泳辞めてたかもしれません。本当に節目節目でいい出会いやいいきっかけに恵まれたと思います。
大学に入ってからも出会いに恵まれました。1回生の時の京都学生選手権の打ち上げの際、向かい側に座っていた中村繁貴さん(当時4回生)に1500出てみないかと誘われたことが、Lの始まりでした。長距離に対する恐れもありましたが、200Flyに挑戦した時のように、ロングにも挑戦してみようって前向きに取り組むことができました。そのおかげで七帝で点を稼げるようになり、少しはチームに貢献できる選手になれたんじゃないかと思います。
こうして振り返ると本当にいい出会いのおかげで水泳続けてこられたのだと感じます。そしてあの時200Flyに手を出したことがすべての始まりだったと思うと感謝してもしきれません。その200Flyも全国公で最後。そして2日目の400Frは人生最後のレース。今までの出会いに感謝の気持ちを持って泳ぎ切りたいと思います。