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更新が遅すぎてフナキの日記を期待する声もあったようですが…期待させてすみません。
ついに引退日記です。
引退日記くらいは、ダラダラした駄文は書きたくないな、と思ってはいたんですが…
①まずは引退レースの振り返りから。
自分の知る限り、今まで引退日記を書いてきた先輩方の多くはまだ全国公やインカレなどのラストレースを残した状態で引退日記を書いていらしたので、
100m平泳ぎ
200m平泳ぎ
たった1か月半で、こんなに変わるものなんです!!!!!
はい。
ひどいにも程がありすぎた京選から、こうやって1か月半で、自分としては素晴らしいレースができ、文字通り有終の美を飾れたのは、
最後くらい楽しんで、納得のいく結果を出してやる!!!!
と思わせてくれた、周囲の環境の力が大きかったと思います。
特に光彩にはめちゃめちゃ助けられた1か月半でした。
詳細な内容を書くのはなんか気恥ずかしいし冗長になるので割愛しますが、
いや、ほんまに、スペシャルサンクス。
その他、技術面で色んな人が色々教えてくれたりしてくれて、それの一つ一つが生きて、やっと出せたベストだったんじゃないかなと思っています。
ラスト2か月弱ぐらい、本当に楽しかったです。皆々様ありがとうございました。
余談ですが、2年ちょっとぶりの大阪プール楽しかったです。
さて、引退日記ですので、ここ2か月くらいの話には終始せず、昔の話もしたいと思います。
お前なんかに自分語りはさせないって人は飛ばしてください。
②今昔物語(主に競技面)
1)入部から2回生5月
元々高校から始めた競泳に未練があったのと、大会の雰囲気が好きだったことから、サークルではなく体育会水泳部に入りました。
1回生夏までは、あまり何も考えておらず、まずは高校の最盛期の泳力まで戻せたらいいな、とかいうことを漠然と考えていました。
まあ、身体の成長期も終わった18歳が、ただ泳いでいるだけでは泳力が戻るわけもなく。
具体的にどう体を動かすとか、体のつくりとか勉強しないと、ほとんど伸びひんよー、
と色んな先輩方にご指摘をいただき、そのときから色んな人から色んな技術を教えていただきました。
その教えてもらってきたことを全部理解できたかというと、そんなことはなく、後になって理解できたことや、未だにわからないこともたくさんありますが、
同レベルのBr専はいつの間にかいなくなり(入部当初は2人くらいいた気が…)、
2回生の5月の関西学生CSにて、100Br、200Brともやっとこさ生涯ベストを出せました。最初で最後のMVSも戴きました。本当に嬉しかったです。
この時が1~3回生の間で一番楽しかった気がします。
2)2回生5月~コロナ前
そこそこ良い波に乗っていた関西CSまでの期間でしたが、
関西CSまでの期間の頑張り(というより相対的に練習態度とかがましだったから?)を反映してか、まさかまさかの関国で200Brのレギュラーを戴き、とても喜んだ、はいいものの、
関国では凄惨たる結果となり、当然関カレのレギュラーは戴けず。
その後、秋ごろから、水泳に気持ちがだんだん向かなくなり、練習に行かなくなる頻度が高くなり、冬の大会でも結果が出ず、さらにやる気が低下し、といった悪循環が渦巻いていました。
学連で来年幹部やらな多分学連終わるから、みたいな超ネガティブな理由で退部はせず、部にぶら下がっていた時期もありました。
冬から春にかけて、主任の凌哉さんが、皆が水泳を少しでも好きになるような色んなことを仕掛けてくださって(合宿とか一日競泳主任とか)、
少しずつ水泳へ気持ちが向きつつあった頃に、コロナが来ました。
3)コロナ~再開
コロナで自粛になっても、動けんなったらいややし、できることはやらねば、と、ランニングやサイクリングに勤しみ、5月には、ほんまに自粛してた?ってくらい日焼けしてました。
自粛期間中、5か月くらい、部員の誰にも会わず暮らしていましたが、
まあいつかは再開するだろうってことで、一生自主練でプルをやっていて、そのおかげで再開後はプルが結構速くなった気がします。
平泳ぎは振り出しに戻る感がすごかったですが、全国公を切るなんて今からは無理だし、できるだけのことをやろうと、割と気楽にやっていた気がします。
4)数回の再自粛から夏前まで
さすがに何度も自粛となると、試合は出れへんし、すぐ振り出しに戻るし、朝起きるの今まで以上にしんどくなるし、はよ引退したいなどとも口走ってしまったこともありました。
それでも、夏が近づくにつれ、引退が近いことにエモさを感じ、
同時に、ずるずると引退していって後悔が残らないのか、いや、残るに違いない。というお気持ちになってから、練習やレースに対する姿勢が変わってきました。
初めてBr面に後輩が入ってきた嬉しさもあり(これ実は本当に嬉しかった。後輩がいるのといないのとではこんなに違うものかと)、
そこからは2回生の初め以来くらいに楽しく練習できていました。
あとは、冒頭に書いた通りです。
全然ダメダメな時期が長くて、こうだったらああだったのに。とか、コロナがあったらなかったら、とか思うこともあるけれど、終わりよければまあヨシ。ということにさせてください。
③チームについて
自分は今のチームの雰囲気がめちゃ好きです。
水泳の推薦できた選手がいないチームである以上、(過去、現在ともに)人生における水泳の比重は人によって全く違います。
水泳が中心であり続ける人もいれば、そうでない人がいて、それをいいバランスで双方が尊重できているなと感じています。
なんでこんなにいい空気感ができているのか、自分でもよくわかりません。これかな?と思った理由を、文字に起こしてはみるものの、なんか違う気がしてしまったので、書かないでおきます。
④学連について
最初学連に入れられたときは、あまり大した説明もなかったため、どんな組織かすらよくわからないまま入っていましたし、
気づいたら学連に入れられ、気づいたらポスト芳賀(3つ上の学連やってたすごい(語彙力)人)として(?)記録パートに入れられ、気づけば学連幹部になっていたわけですが、
結果として、やっていて本当によかったなと感じました。
学連でどんなことやってるん?って聞かれて仕事内容をちょっと説明すると、しんどそう、大変そう、という感想を抱かせてしまう気がするけど、
色んな出自、色んな大学の人と出会ってはわちゃわちゃと運営するのって、えも言われぬ楽しさがあって、本当に3年間意外と楽しくやらせてもらえました。
これもまあ、まず先輩方が皆仕事覚えの悪い自分に優しくしてくれて(自分が学連辞めへんようにひたすらヨイショしてくれる先輩もいて嬉しかった)、
同期がめちゃ仲良くしてくれて(またもう1回くらい皆で飲みにいきたいね)、
ありがとうございました。
ハリーって呼び方いいよね。ルーツは聞かないでほしいけど。
⑤皆々様へ
先輩方へ
②なんて読まずとも、本当にどうしようもない後輩だったことはご存じかと存じますが、そんなんでもかわいがってくださった先輩方に救われた例は数限りなしです。
後輩達へ
まあ後輩達の方がよほどしっかりしていたような先輩でしたが、それでも仲良くしてくれた後輩が数多いたのは本当に嬉しかったです。
同期達へ
まあ男だらけのdirtyな代で、仲悪い時期もあったけど、なんやかんやで楽しかったです。cnks面とその他を行ったり来たりする中途半端な役回りでしたが、楽しくやらしてもらいました。
n番煎じだけど、この写真はどうしても好きなので、載せさせてください。
はい。こんな駄文に最後までお付き合いいただきありがとうございました。
2018 BIG WAVE
お疲れ様です。イツボ(4)です。引退日記No.2です。ナカコミ(4)の表記が気に入ったので使います。
更新遅くなりましてすみません。
京大水泳部に入り、素晴らしい先輩方、面白い同期、かわいいかわいい後輩達に出会いました。
大学生活の軸となるかけがえのない時間でした。
本当に楽しかったです。
京大水泳部に入って良かったと心から思います。
関係各所の皆々様を含め、ありがとうございました。
井坪暉
てな感じでサクッと終わらせるつもりでしたが、関カレを終えて書きたい思いが生じたので少々お付き合い下さい。
200IM
2’26”50(京選)→2’20”47(関国)→2’19”26(関カレ)
400IM
5’24”87(京選)→5’04”84(関国)→4’59”56(関カレ)
まずはおよそ1ヶ月半の間に何が起こったのかを説明します。
京選から1週間後の土曜日、主任(4)よりこのままではフナキ(4)と共にレギュラーから外すとの通達がありました。正直なところ、これまでの練習態度や京選のタイムを鑑みるとレギュラーは貰えなくて当然と思っていた事、1回目の自粛の時から気持ち的には引退していた事、泳力が落ち過ぎておりそもそも京選での引退を考えていた事などからもう大人しく引退することにしました。ナカコミ(4)やマエダ(4)、トヨタ(3)から辞めないでとLINEが来ました。嬉しかったですが、気持ちは揺らぎませんでした。フナキ(4)は改心して頑張るとの事でした。
翌日、フナキ(4)と会っていました。辞めんなよと説得をされていました。こんな中途半端に辞めてええんかッて話をされました。多少気持ちは揺らぎましたが、断りました。
日付が変わり帰ろうとすると、とりあえず家に泊まれ、明日の朝俺を起こしたら帰っていいからと無理矢理引き留められました。そういうことならと家に入りました。色んな話をしました。くだらない話から水泳の話まで。なんだかエモくなりました。1人じゃ頑張れない、一緒に頑張ろう、とアツい説得をされました。
朝になりました。まだ気持ちは揺らいでいました。とりあえず練習に行こうと強引にプールへと連れて行かれました。プールに着きました。ここまで来たなら主任(4)に言おうと背中を押され、頑張るからもう一度チャンスを下さいということを伝えました。
イマタキ(4)は笑顔で許してくれました。頑張ろう、と。グッときました。
困らせてごめん、、、ありがとう、、、。
やるからには全力でやろうと決め、関カレでBestを出すことを目標にしました。
結果、関国では予想以上の好タイムで決勝に進出でき(決勝タイム落としてすみませんでした)、関カレでは2種目ともベストを更新して優勝することが出来ました。ほんとに嬉しかったです。
イマタキ(4)には主任という立場と、最後に同期に頑張って欲しいという思いがあったんだと思います。こんなカス部員を見捨てずにいてくれたことに本当に感謝しています。これまで散々迷惑をかけてごめん。本当にありがとう。
それから、この4年間1番仲が良かったであろうフナキ(4)の強引な説得のおかげで続けることが出来ました。ホンマにありがとうな。
そして、関国、関カレと沢山の部員のみんなが応援してくれたことが本当に嬉しかったです。こんなカスな先輩を応援してくれる後輩達、そして同期には感動しました。4コメのビデオみたらみんなの真剣な応援の声と歓声が入ってて泣きそうになりました。みんな良い奴すぎだよ。俺がちょっと頑張ってタイム出すなんて、ヤンキーがゴミ拾ったら理論と同じなのに、みんなめちゃくちゃ応援してくれて感動しました。関国のとき想像以上にみんなが応援してくれて喜んでくれたから、関カレでは絶対にベスト出して優勝しようと思えました。それがなかったらラストレースの5分切りはなかったと思います。
主任(4)も言ってましたが、みんながみんなのレースを見て本気で応援してる感じがすごくいいなぁと思いました。最高学年補正が入ってるのかもしれませんが、入部以来最もええチームやなぁと思います。そんな後輩達のこれからがすごく楽しみです。ゴリラ応援してます。
とにかく言いたかったのは、みんなええ奴すぎ、ありがとう、素晴らしいチームやということです。
それでは改めまして、
京大水泳部に入り、素晴らしい先輩方、面白い同期、かわいいかわいい後輩達に出会いました。
大学生活の軸となるかけがえのない時間でした。
本当に楽しかったです。
京大水泳部に入って良かったと心から思います。
関係各所の皆々様を含め、ありがとうございました。
井坪暉
これが最後の練習日記となります。つれづれなるままに書いております。長いかもしれませんがつれづれ法師込なので仕方がないんだろうと思います。
一番大切な関カレ引退レースの結果から報告させていただきます。
400fr 4:46.86(四回生京選) → 4:38.18(三部第五位)
1500fr 21:07.53 (一回生プレインカレ) → 18:47.02(三部第五位)
思いがけず嬉しかったタイム
OBOG戦(25m) 50fr引継ぎ25.48
応援、本当にありがとうございました。京大プールに、あゆこさん(7)、りつきさん(6)、わださん(6)、ひさしさん(5)、堀下さん(5)、澤田さん(5)、さだみさん(5)が来てくださりました。ほんまにほんまにゴリラ嬉しかったです。まだ、現役の僕らを気にかけてくださって、新入生の名前も覚えていらっしゃって、ものすごくうれしかったし、成長した姿を直接おみせできて本当にうれしかったです。
*ゴリラ寒い、という表現は、唯一「ら抜き言葉」の方が一般的という特殊な表現として世間から広く認知されています。(ひろみち(3)より引用)
まじめな話も、楽しい話も、いったん置いておいて、いつも通りの日記を始めていきましょう。
〇最近面白かったこと
〇競泳人生を振り返って
〇人間面について
〇同期、後輩へのメッセージ
最近面白かったこと
オリンピックの開会式のピクトグラムのパントマイムを見ました。テンポがよく、センスがよく、大変上振れた気持ちになりました。ぜひyoutubeで検索してみてください。過去に、加藤のアぺあき君(3)が、大変上品とはかけ離れた、ピクトグラムについての万バズツイートをしていたので、それもみせてもらいましょう。これがその1です。
その2
大学近くの百万遍交差点で、日本共産党が演説をしていました。聴いている方、囲んでいる方、ビラを配っている方、どなたもご老人ばかりでした。みなさん、選挙に行っていますか?僕は、人に胸を張って言えるほどまじめに参加しているわけではありません。
「全大学の学費をただにします。」「消費税をへらします」「医療費をタダにします」「10万円配ります」「原発は全部なくします」
キャッチーなことを言われても、どこからそんなにお金を出すのかな、と考えるだけで、それ以上調べようとしません。そんな若者の一人です。
中国人の友達に、「なんで選挙ちゃんとやんないのか意味不明」と言われました。彼らには選挙というものがありません。
フランス人の友達に、「学者の間では、日本はもはや民主主義じゃないって言われてるんやで」と言われました。そーゆーのは間接民主主義って言わへんで、と。すごく面白い観点でした。
その3
ひろみち(3)が、
「当時の僕がまさか数年後にも覚えているとは思ってもいなかった些細な事物が当時を語る上で分離不可能な一部として、自らの意識とは無関係に、しっかりと焼き付けられているのです。」
「過去の自分が何を見ても、何を感じても、何を考えても、結局はブーメランのように自分自身の手元にいつか帰ってくるというのが人としての本質なのかもしれません。」
僕は、「経験は状態ベクトル」だと思っています。
ハイゼンベルグさん(50)は、量子力学のハイゼンベルグ表示においてこのような表現をしました。
左辺は、期待値を表します。僕らが実際に観測したり、思い出したりする内容だと思ってください。
右辺の演算子A(t)は、その時その時の時刻に依って変化する、ものの見方やとらえ方です。そして、右辺で<>と挟んでいるプサイψが、「時刻に依らない状態ベクトル」です。
状態ベクトルは、いろいろな成分や部活家族高校などいろいろな思い出を重ね合わせて孕んでいますが、普段は状態空間にうようよとただよっているだけで、僕らの目には見えません。虚数部分のようなものです。でも、ある時刻において演算子を通して、ふと、たくさんある思い出の一部の実数部分を期待値として見るのです。昔のとある経験を、何かがきっかけで、突然思い出すのです。
みんなでスイカ割したこと。鴨川のほとりで暴れたこと。レースがうまくいかなくて悔しい夜を過ごしたこと。二部練の合間にスマブラしたこと。タイムが出て大喜びしたこと。先輩にすごく怒られたこと。げらげら練習後に笑ったこと。日焼けテーパーをしたこと。
経験は、僕の周りにも、みなさんの周りにも、中央食堂にも、京大プールの7コースにも、塩素がきつくて飛び出した踏水会四階のベランダにも、下振れたひゃっくれの三階にも、ずっとずっと変わらず存在しています。時刻に依らない定常状態として存在しています。
僕は、もう練習に行かなくなります。この四年間、中込が練習に来ていないことは本当に少なかったのではないでしょうか。すごく寂しいです。朝練は楽しかった。
先輩たちはかっこよかったし、速かったし、可愛がってくださった。後輩たちは、本当にかわいかったし、慕ってくれたし、競ってくれたし、いろいろ教えてくださった。
同期たちは、支えあってくれたし、気にかけてくれたし、なにより一緒にげらげら笑うのが楽しかった。
素晴らしく楽しく、美しい美しい時間でした。
関カレ二日目、1500frが終わり、自分のすべての種目が終わり、「もうぜんぶ終わっちゃった」と思ったときに、涙腺が熱くなりました。京大水泳部生活が終わってしまいました。本当に悲しかった。かけがえのない、大切な時間でした。本当にありがとうございました。
今後、あんなに活発だった今の代の僕らの全体ラインは一切動かなくなります。コミュニケーションも、会う回数も、圧倒的に減っていきます。僕も、毎日のように現役水泳部の後輩や同期を想うわけではありません。思い出す頻度も落ちていきます。
それでも、みんながばらまいてくださった、大変上振れた状態ベクトルは、僕の近傍にもたくさん存在しています。いろいろなきっかけで、ふと、みなさんのことを思い出しては、元気をもらったり、懐かしんだり、過去を反省したりするでしょう。僕は、ラーメン巡りの地獄池田屋とか、大暴れしたNFガイコツの場所とか、あちこちに行くたびに、そこにもばらまかれた状態ベクトルを幾度となく観測して、ニヤニヤと思い出すことでしょう。
会う頻度は本当に減ると思いますが、見かけたらどんどん声をかけてください。ピザパとか誘ってください。気負う必要はありません。現役のころの僕と同じように、気負う必要なく話しかけてくれたらと思います。僕ももちろんそうします。普段見えない中込の状態ベクトルも、何かをきっかけに、たまに観測しては楽しんでもらえたらと思います。
「経験は状態ベクトル」
おもしろいと思った方は、高評価とチャンネル登録をよろしくお願いします。
先輩や、後輩や、他の方も読んでらっしゃるようなので、4回生の僕基準で名前の後ろに年代をつけています。
すごくかっこいいかわしまりょうやさんなら、僕の一個上だから、りょうやさん(5)です。
もっと一緒に泳ぎたかったまつもっちゃんなら、今一回生だから、まつもっちゃん(1)です。
大変大変おせわになった森田さんなら、森田さん(36か37)です。関カレ見に行けますか?とご連絡いただいたときは、本当にうれしかったです。森田さん(36)が隠居されるまでは、OB会費を忘れずに納めます。
京大水泳部OBの徳川家康(初代将軍)なら、1600年くらいなので、徳川家康(425)といったところです。
一個上の龍平さんなど、高校時代の先輩は、「高」もつけて、龍平さん(高5)としましょう。龍平さん(高5)、はせこう(高3)、関カレ一日目の僕の400frをtwitterでいいねしてくださって、本当にうれしかったです。まだ僕の成長を気に留めてくださってるのが本当にうれしかった。
それでは、競泳人生を振り返っていきましょう。
高校時代、すーぱー速いすーぱーイケメン志熊さん(高5)にあこがれて、金魚の糞みたいにくっついてまわって、いっぱい競泳平泳ぎをしました。てんとくくん(高4)と超仲良くなりました。東大の原ちゃん(高4)など、他高にも、いっぱい水泳の友達ができました。都高校数組目、JO予選一組目センターが限界で、目標にしていた十六校大会の決勝に残ることができませんでした。3秒くらい足りなかった。
そして、京大入学、新歓期、入ってくるであろう同期にはやく追いつこうと、行ける日はほぼ毎朝、平泳ぎ込君は、朝練に通わせていただきました。みんなが速いのは知っていました。
最初の練習日記に書いたこと。
水泳部の目標
1.「這い上がること。年中週六行ったら速い選手が絶対にいる環境、鶏口ではなく牛後という環境で、圧倒的に速くなること。」
3.「高校時代に勝てなかった奴らに勝つこと」
初の試合。衝撃。予想より、速すぎる。レベルが高すぎる。新歓では、だれでも歓迎って感じだったのに、地区決勝常連とか、全国行ってましたとか、歴代何位ですとか、ほんまに速い人だらけでした。
競泳は、タイムという、圧倒的に具体的な指標がありますから、自分が遅いと気が引けてしまいます。一回生の夏、「君の専門はまだレギュラーをあげれるレベルじゃないよ、強化練しよう」ときっぱりと言われてしまったこともあります。レギュラーがないと、試合は面白くないし、なんだか居づらいです。レギュラーがなかった一回生の関カレは、メガホンを25個くらい担いだまま、大阪プールまでチャリで行って、高野さん(7)に引かれたこともありました。レースもないのに、ただ応援するためだけに電車で行くのはあほらしい、と思っていました。一回生の全国公で、主任のしゅんさん(7)に、「レベルが低いのに入部してすみません」と謝ったこともありました。
時系列はずれますが、そんな中、しゅんさん(7)が、「七帝の800frが空いてるんだけど、出ない?」と言ってくださりました。出たら一組しかなくて、初のレギュラーは最終組の決勝でした。
800frは、今より2分以上遅いタイムでしたが、ここで自分の部活での役割を見出すことになります。東大のまきのゆうとさん(高7)の、「選択肢を正解にする」という言葉が原動力でした。水泳部に入るか、入らないか、のどちらかが正解で、その「正解の選択肢をとれなかったこと」を後悔するのではありません。その代わりに、決めた選択肢「水泳部入部」が正解になるように行動してみる、というものです。まきのさん(高7)はかっこいいです。
4.大学生になってまで、それ一本でやろうと思われることの少ない長距離自由形をまじめにやって、レギュラーを勝ち取り続けること。
5.二部残留ギリギリにおいて、100,200が速い人には、他大の選手をつぶして点を稼いでもらって、僕は長距離でこっそり一点でも稼いでくること。
7.長水1500fr歴代20位(18:18.65ざわさん(15))を抜くこと。
8.団体権で400frの全国公に出ること。
平泳ぎから長距離自由形に転向して、一回生のゾンタックでりつきさん(6)に、Aサイクルに引っ張り上げてもらって、パドルをつけて1:20短水で回って、毎週のパートミーティングで泳ぎを見てもらって、メキメキと速くなりました。自信にもなりました。初めて全本30s切った日とか、100fr1:00割った日とか、練習後に書きたいことを雑に書き留めていた水泳のノートを振り返ると、懐かしい気持ちになります。
レギュラーもいただき、試合が楽しみになりました。
いくつかの掲げていた目標も少しずつ達成していきました。
二回生のやしろ合宿では、Bサイクル400m長水5:10くらいのやつを、多くの人間が漂流する中、馬場ちゃん(3)と回り切りました。
二回生の京短でMVSもいただきました。
三回生の共泳会の年始合宿で、100m1:12.5cycleを回っていました。
基本Acycleで泳ぐようになっていました。気づいたら、長水1:20cycleが楽になっていました。長水で上から飛んで、そんなに超頑張んなくても1:01出るようになっていました。
最後の関カレ1500frで、歴代に載ることはできませんでしたが、400fr,1500frともにベストパフォーマンスをできました。満足しています。歴代には本当に本当に載りたかったのですが。応援ありがとうございました。手をたくさん振ってくれてありがとう。写真もたくさん撮ろう撮ろうとなってくれてありがとう。
泳ぎ終わって、井坪(4)や馬場ちゃん(3)が下りてきてくれた時、ゆういちろう(2)と会ったとき、スタンドに上がってから、応援してくれていた今瀧選手(4)や、みさちゃん(3)にお礼をしたとき、みやじゅん(1)と握手したとき、ずっと一人でマネージャーを回してくれていて、たくさんタイムをとってくれた辻ちゃん(3)にお礼をしたとき、さすがに涙が出ないなんてことはなかったです。ありがとうございました。
タイムは頭打ちされてないし、まだ伸びるし、もしもしコロナで一年くらいの空白が発生しておらず、例年通りいっぱい合宿をして、いっぱい二部練をして、いっぱいパートミーティングをしていたら、他の未来があったかな、と思うこともありましたが、いただいたこの四年間を、やり切れました。
この四年間も、与えられてばかりでした。先輩方、後輩たち、金銭的に大きく支援してくださった京泳会のみなさま、本当にありがとうございました。恩返しはまた今度でお願いします。
いい競泳人生でした。マスターズはやらないので、この関カレで、僕の競泳人生は本当におしまいです。感慨深いです。
水泳の技術で、結局分かったこと分からなかったこと4選
分かった1.ハイエルボー、ひじは勝手に立つ、無理して力を込めて力んで立てるものではない
分かった2.息は吐くのが大事、酸素濃度がヘモグロビンの働きに大きく影響する
分かった3.キックは内股、親指が擦れる人もいる
分かった4.グライドは指先をした方向に向ける、すごいキャッチをしやすかったし、揚力が発生してそう
分からなかった1.腹圧。元気な時は入ってるけど、無意識的に入れ続けることはできなかった。
分からなかった2.ドルフィンは胸郭から。分からない。
分からなかった3.平泳ぎの体重移動。分からない。
分からなかった4.ヨガボールを抱え込んで押すように泳ぐ。いろんな人に言われたが、僕の周りの水にヨガボールは存在していなかった。
人間面にうつります。
多くの引退していった先輩が、「大学水泳は、同じ方向を全員向くことは難しい、多様性を大事にしろ」と残していきました。その中でも、あゆこさん(7)の、「常に同期の味方であること」が、大きく響きました。
もっと自由に行動したいのに、怒りたくないのに、立場上、怒ったり、イライラしたりしなければいけない主任主将などの役職の選手がいます。
もっとみんなに水泳を優先してほしくて、水泳の優先順位が低い人に対してどんどん排他的になってしまう、ひたむきな選手もいます。
主将を決める回生ミーティングで、後輩とか水球と仲いいし、中込が主将がいいと思う、と推薦してくれたとき、本当に嬉しかったです。でも、あんなに速くてかっこいい主将のしんじさん(6)が、OBさんの前で自分のタイムを謙遜しているのを、悲しく思っていました。僕では足りない。泳力も人望もある前多ちゃん(4)が引き受けてくれて、本当に良かったです。ありがとう。
人のケアに回りました。
でも、二回生になってから、やめたいって言ってくれた人を引き留めたりはしませんでした。決断したそれぞれの道を応援したし、思い出を話し合ったり、やめたい理由を共感したりして、仲良いままでいました。苦しいのに、心地いい居場所を見つけられなかったのに、ずっと居続ける必要はないと思っています。僕は主将ではなかったので、そのような対応ができました。
競泳全体として、水球ともめることも多々ありましたが、水球の子達と仲良くしました。カタンしたり、麻雀したり、飯を食いに行ったり、フォールガイズで下振れたり。
競泳面には、医学部水泳部をよく思わない人もいましたが、僕は、コロナ禍で医水の人たちとたくさん泳いで、仲良くなりました。家にもお邪魔して遊びました。面白くていい人ばっかです。
岩井君(1)の良さをだんだんみんなが気づいてきました。水カマキリは元気ですか。かわいいですね。
井坪(4)や舩木(4)のあまりモチベが上がらない中、主任としての立場もあるゆうと(4)が厳しいことを言わなければいけませんでしたが、双方、お互いの立場や気持ちに歩み寄れるきっかけを作れた思います。
関カレ初日の早すぎた集合時間に対して、ただ文句を言うのではなく、主任の立場もあっての決断なんやろうな、と、周りの文句を和らげることもありました。
この水泳部に所属して、初めはどうしようもなくデリカシーのない小物でしたが、人間的に成長した「大小物(おおこもの)」になれたと思います。たくさんの成長する機会を与えていただきました。
あと、マネさんへの感謝は忘れずに表現すること。これは、ずっと続けてきました。みんなで今後も大事にしてあげてください。特に、さわださん(5)、さだみさん(5)、辻ちゃん(3)、長いこと、いつも本当にありがとうございました。お世話になりました。
せっかくだし過去作が消えていくのももったいないので、てきとうにまとめたのをあげておきます。抜けもいっぱいあると思いますが、新しい順です。
https://1drv.ms/w/s!Al45Uqz8JhHNqCxp16fFznnZb3qE?e=eC71eS
最後に、同期、後輩へのメッセージ
くさちゃんつじちゃんみきちゃんきみちゃんやまとこのかちゃんひろみちみさちゃん馬場ちゃん
じろちゃんりょせひなこちゃんゆういちろうひなたちゃんかなちゃんぽんちゃん
くるみちゃんさくらちゃん塩原君しおん君井芹君ゆきと君みやじゅんいわいくんまっちゃん神尾君西垣君
女子の後輩と距離取るの下手泉、
愛の喜びを知ってしまった井坪、
手に負えない特殊性癖今瀧、
欲望に忠実で快楽を梯子する前多、
指輪、ラインの一言、伝わらないカウントダウン、事あるごとにからかい倒してしまったおかもっちゃん、
年中泉にぶっかけられてばっかの櫻井、
女の子大好きすぐ話に行っちゃう女好き舩木、
花より団子道明寺の再来と謳われた中込
ひとりひとりにいっぱい書こうと思いましたが、これ以上書くと、「さすがにナーガー」とひろみち(3)やしおんくん(1)に言われてしまうので、手短に済ませます。いっぱいいろいろ伝えたい人たちもいます。
尊敬しています。仲良くしてくれてありがとう。自由にやらせていただいたし、たくさんいい思いをさせていただきました。もし、今後、自信がなくなったら、これを伝えたいです。radwimps夢番地から、
「僕が立っているここはきっと誰かの願ってる場所で
誰かが立っている場所がきっと僕の望む場所で
誰かがきっと今僕にとっての夢をかなえてくれている
僕もきっと誰かにとっての夢をかなえている」
真摯で、ひたむきで、競技レベルも高く、頭もよいみなさんを、僕はとても尊敬しています。自信を失うのは良いですが、同時に自信を持ってくれたらと思います。
競泳を通じて会った方々は、尊敬できるひとしかいなかった。これは本当です。
僕も、人に誇れる特技を見つけるべく、何かで大成すべく、また別の分野でせっせと働きかけていきます。物語の始まり始まりです。
(ついさっき瀬川(4)とりゅうせいさん(6)から10月のトライアスロンに誘われました。楽しそうです。)
最最最後に、本当に仲良くしてくれた前多(4)井坪(4)舩木(4)へ
ほんまに楽しかったし、ほんまに好きでした。仲良くしてくれて本当にありがとう。水泳部に入って同期で、知り合って、仲良くなれて、本当に良かった。心地よかったです、心の底からそう思います。ありがとう。
志熊さん、僕は先輩みたく速くなれたでしょうか、
まだまだっすね分かります
あー、四回生の先輩たち(7)は全員速くてかっこよかったなあ
あー、わださん速かったなあ
りょーやさんかっこよかったなあ
舩木超はやかったなあ
前多の8継かっこよかったなあ
井坪の決勝かっこよかったなあ
あー、たのしかったなあ
終わりたくないなあ
競泳は終わったけど、もちろん水泳は続けます。
水泳って楽しいですよね。
2021.07.28
京大水泳部4回生
中込智樹
2018 BIG WAVE
2018-2019 威新
2020-2021 努来勝
今日は関カレの代替試合となる秋季公認記録会でした。
インカレが人数制限されるらしいです。100Brは全国上位40位までしか出れないです。40位がどれくらいかと言うと、長水で1分2秒台が必要です。僕はこの試合で1.5秒くらいベスト出さなきゃいけないです。しかもこれが恐らくラストチャンス。
はい。大学からの出場許可が下りませんでした。
もうね、本当に悔しい。3年かけてやっとインカレ切ったんですよ。人数制限がかかった時も絶望しました。でも何よりも制限に入れるかどうか挑戦すらできなかったことが悔しいです。普通に泣きました。まあ最初から40位入る実力がなかった僕が悪いんですけど。
だと思ってます。
まず報告です。
試合中応援隊の仕事がやばすぎてレースどころじゃなかったり、大事な夏場に左肩をぶっ壊したり、NF隊長をしたりと、色々経験させてもらいました。
(毎日のストレッチはこの怪我のこともあり始めました。あと、引退した老害の提案ですが、1回生みんなで分担して応援隊した方がよくないですか?)
また、多様性とか、水泳への優先度とかの話を持ち出すことが、自分への甘えに聞こえることすらあります。
例えば、ルールは週6でした。実際に守れてる人はどのくらいいるでしょうか。今からする話は週6行かないやつくそとか言いたい話では無いです。
僕が言いたいのは、もっと相談をして欲しいということです。
話してくれなければ何考えてるか分かりません。主将主任、嫌なら他の人でも良し。体調不良で休む。全然いいと思います。むしろそうすべきです。他に頑張っていることが忙しいから1日練習を休む。水泳が疎かにならなければ全然いいと思います。
しかし、今は、その相談が少ない。けど人それぞれ理由があるからと言う。でも相談ないからそんなん分からん。だから多様性や価値観の尊重が叫ばれているのではと思います。
相談無しに他のことが忙しいので練習を休むとそれは他の部員からはサボりと思われるかもしれません。それが横行すると部が悪い方向に流れてしまう。
一言相談して解決策を話し合いで出すことが出来ていれば、そしてみんながそれを共有しておけば、多様性や価値観の尊重に繋がるんじゃないでしょうか。
週一のミーティングを今後もっとこういうのに有効活用しておけば良かったと今更気づきました。