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こんばんは。L主任の岡広です。京大水泳部最後の日記を書かせていただきます。
今日のメニューです。
Up 400*1 cho 7’
100*3 cho drill-form 2’
100*3*2 cho 25uwH,25H,F/t 1’50
Rest
Kick 100*2*3 cho cycle in 1’45(-5”/t)
Rest
Swim 200*3 IM des to EN3 3’
Rest
Swim 100*3 IM des to H 1’30
Loosen 100*1
Drill 50*4 cho drill-form 1’10
Rest
Swim 100*3 S1 H 2’
Loosen 50*1 cho 3’
Dive 15*1
25*1
Down 500
全国公に向けた追い込みのメニューでした。今月は試合ラッシュで、調整メニューも多かったのもあって、100のHardは1か月ぶりでした(たぶん)。体バキバキですが、今週を過ぎるともう追い込むことは無くなるので、水泳人生最後の追い込みだと思って、あと少しだけ耐えていこうと思います。
さて、僕は来週ある全国公で引退します。今まで中学高校と”引退”を経験してきましたが、今回は本当の意味で水泳を引退することになります。思えば16年間、水泳が完全に生活の一部でした。毎日のように練習に行き、嫌になるほどハードなメニューをこなし、土日は試合でつぶれ、長期休暇やGWは遊びにも行かず合宿に行って泳ぎ込み。そんな慌ただしい生活ともあと1週間でお別れ。なんか寂しいです。実感わかない。
振り返れば、水泳を通してたくさんの人と出会い、様々な経験をした気がします。
5歳で、地元のスポセンでやってた週1の水泳教室に通い始めました。案の定、運動神経鈍い僕はあんま上達しなかったんですが、そこの先生が僕の足首の柔らかさに可能性を見いだしていただき、その先生のスイミングクラブに入会しました。そこで初めて”試合”ってものを経験することになったですけど、臆病な僕は緊張で過呼吸になり50mのレースで途中で止まってしまう事が多かったです。たぶんその時ホンマに水泳嫌いやったと思います。それでも先生は僕のことを見捨てたりせず指導してくださり、何とか試合でフツーに泳げるようになりました。継続していく中で精神的にも強くなり、半フリで割と早い方になるまで成長できました。(←僕元々半フリの選手だったんですよ!!笑)
地元の広島で、小学生最高峰の試合、県学童選手権というものがありました。毎年レベルが高く、強いクラブチーム通ってた人でも決勝に残るのは難しい試合でした。表彰台なんて夢のまた夢。でも200Flyだけ毎年2人か3人しか出てなくて、一発決勝だし、表彰台も可能性があるかもと考え、小6の時出場しようと決めました。そんとき50しか出たことなかったのに(笑)200Fly出るって伝えた時の先生の表情をものすごくよく覚えています。びっくりたまげて、呆れ返ってました。しかし先生は僕のために2バタの特別練習までしてくださり、何とか無事200Fly泳ぎ切ることができました(結局その年は7人出てて4位でした)。
そんで中学から地元の強豪スイミングクラブに移籍したんですが、50Fr100Frで伸び悩み、低迷していました。悩んだ挙句、専門種目を100Fly200Flyに変えました。小6の時200Fly出た経験があったことがこの決断を後押ししてくれたのだと思います。そこから僕の水泳人生でバタフライの章が始まったのです(ちょっとカッコよく言ってみた)。
あの時、先生に出会っていなかったら今頃水泳やってなかったと思いますし、200Flyやるって言い出さなかったらFlyに転向せず50Fr100Frで沈んだまま水泳辞めてたかもしれません。本当に節目節目でいい出会いやいいきっかけに恵まれたと思います。
大学に入ってからも出会いに恵まれました。1回生の時の京都学生選手権の打ち上げの際、向かい側に座っていた中村繁貴さん(当時4回生)に1500出てみないかと誘われたことが、Lの始まりでした。長距離に対する恐れもありましたが、200Flyに挑戦した時のように、ロングにも挑戦してみようって前向きに取り組むことができました。そのおかげで七帝で点を稼げるようになり、少しはチームに貢献できる選手になれたんじゃないかと思います。
こうして振り返ると本当にいい出会いのおかげで水泳続けてこられたのだと感じます。そしてあの時200Flyに手を出したことがすべての始まりだったと思うと感謝してもしきれません。その200Flyも全国公で最後。そして2日目の400Frは人生最後のレース。今までの出会いに感謝の気持ちを持って泳ぎ切りたいと思います。