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おはようございます。4回生の中垣です。
ついにラスト日記がやってきました!
予想以上に時間がかかったので、朝の更新になりました。すみません…
最近はりゅーたやにっし―が上から見ててアドバイスをくれます。
すごい助かってます。ありがたや(^o^)
さて、ラスト日記何書こうかなーとずっと考えてたんですが、この4年間をを振り返ってみようと思います。同回生のラスト日記を読んでて、この時こんなこと考えてたんだーって結構面白かったので。でもそんな楽しいお話じゃありません。しかも思った以上に長くなりました…興味の無い方は飛ばして最後のメッセージだけ読んで下さい笑
私は小学校はスイミング、中高は部活でずっと水泳をやってきましたが、大学で水泳する気は微塵もありませんでした。新歓すら行く気なかった。高校までで満足してたし、中2からの腰痛もあったし、もういいかなって。でも、水泳部の新歓に「いちご狩り」があることを知り、興味を持ちました笑いちごをタダでたくさん食べれるのが水泳部だけだったんです。早速高校からの友達を誘ったんですが、断られ、やっぱやめとこっかなーと思った時、ふとある人のことが思い浮かびました。そう、ラクロスの新歓で知り合った藤巻さんです!水泳やってたって言ってたし誘ってみようと…さすがに1人でいちご狩りに行く勇気はなく(当時は)、藤巻が行くって言ってくれなければ私が水泳部に出会うことはなかったでしょう笑
そんなこんなで新歓に参加し、入部に至ったわけですが、私は初めマネージャーでした。
さっきも言った通り選手として満足してたし腰痛発症するのが嫌だったからです。でも2日で辞めました。マネージャー2日目の練習後、MTで1回生に向けて主任の壇さんから今年の目標の説明がありました。七帝も関カレもなんなのかよくわからなかったけど、なんかすごい!って思いました。それまで私にとって水泳は個人のスポーツで、チームで何かを目指すというのは考えたことなかった…大学の水泳ってすごい面白そうだし、入部して良かったと思いました。同時に、自分はマネージャーをやることが最大の貢献に繋がるのかという疑問も湧いてきました。同期のマネージャーはたくさんいたけど女子選手はゼロ。七帝だけ泳いでって言われてる状況でした。自分が目標達成のためにできることは?と考えた時、自分は選手やるべきだと思ったんです。吉田コンパが終わり、次の月曜日の練習では泳いでました笑
1回生のシーズンはただ楽しくあっという間でした。
表彰台にいっぱい乗れるし、いい結果出せば先輩たちが褒めてくれるし…毎日、毎試合、楽しくてしょうがなかったです。
そして、シーズン終わりにIM面になりました。うすうす自分はスプリンターじゃないなと気付いていたので、ミドルかバッタかコンメで迷ったんですが、全部できるコンメにしました。
ここからの2年間は結構辛かった…
1シーズン経験したことで、夏のどの試合がどういう意味を持つのか理解したわけですが、それが逆に0.01秒でも速くなりたい!というモチベーションに繋がらなくなってしまいました。女子の目標は関国とか七帝がメインでしたが、どの種目に出るのか他大調査するまでわかんないし、400IMとか200Flyとか、泳ぎ切れば速かろうが遅かろうがほとんど順位が変わんない。そんな頑張らなくてもよくない?って思っちゃったんですね。それなら、自分でタイムとかで目標持ったらいいじゃん!って今なら思うんですが、それまで誰かが示した頑張り方に乗っかることしかしてこなかった自分にはそれができませんでした。やんなきゃ!とは思うけどいまいちやる気が出ない、そんな状況です。練習もこなすだけ、結果もパッとしない、更に嫌になる。当時は何でこんな辛い思いをしなきゃいけないんだろうと思ってましたが、今思えば全部自分が悪かったと思います。気持ちの持ちよう、意識の持ちようでいくらでも状況が変えれたはずなのに…
そして、2回生の冬で腰痛との再会をしてしまいました。
怪我をしないためにはまず日ごろのケアが大事です。そして、どこか痛くなってしまったらすぐ対処して下さい。いけるっしょ!とか思うと後で痛い目みます。私は腰痛の経験があって、自分で原因がわかってたばっかりに変に我慢してしまいました。そして、4月のとある日、洛星での練習中に蹴伸びが痛くてできなくなりました。そん時にポッキリ心が折れました。
もう部活も辞めようと思ったんですが、周りに助けられなんとか立ち直りました。
3回生シーズンは、練習量減らして50と100のFrだけ、関カレはリレーしかでなかったし、全国公以降はマネージャーしてました。でも、このシーズンで水泳に対する考え方がかなり変わりました。練習減らしたから、腰痛いから結果出せなかったって言いたくなくて、結果を出すための練習とはどんなものか真剣に考えるようになりました。この時試行錯誤しててやっと、考えて泳ぐことの意味に気付けた気がします。気付くの遅っ!って感じですが。けがの功名です。
気付けば自分もラスト1年、腰痛も手なずけ、そこそこにタイムも伸び、就活に突入。少し水泳からは離れました。
戻ってきて迎えた関西CS。決起集会でも言いましたが、今シーズンIMで大きくタイムを伸ばせたのはこの試合の結果だと思います。絶対出ると思ってたのにベストが出なかったこと、その他もろもろ…とにかく悔しかったんです。泣きそうになりました。
次の日からこの試合の悔しさが練習を頑張る原動力になりました。でもすぐには結果に結びつかず、京選ではちょっとだけベスト。1か月後の関国でやっと400IMで大ベストがでました。でも、リレーのFrと100Flyでは納得いく結果が残せず、総合4位。しかも3位と同点。あと1点でも取ってれば…しかも自分がその1点を取って来れる所にいたのに取れなかった…情けなかったです。一週間後の七帝では、200も400もベスト。でもFrは遅いまま。そして関カレ。100Frと200IMはベストだったものの、400IMと50Frはダメでした。特に400IMはそれまで好調だったばっかりに、ここで出せないんだ…と落ち込みました。しかも0.46秒だけ。ターンとかどっか一かきちゃんとしてればベスト出ただろうに…
思い返せば今シーズン、悔しい結果ばっかりです。それが次のレースへの原動力になってるって言えばなってるんですけど。でも最後はいい結果で終わりたい!!全国公では絶対ベスト出します!!
ずいぶん長くなりました…
長々と書いて何が言いたいかというと、大学で水泳をする3年3ヵ月という期間、楽しいだけで過ごせる人、いい結果だけで過ごせる人はほとんどいないと思います。というかきっとしんどいこと上手くいかないことばっかりです。でも、一個一個乗り越えてその努力が結果に結びついた時、本当に楽しく充実した気持ちになるのだと思います。だから目の前に困難が現れた時、そこから逃げないようにして下さい。周りは助けてくれるけど、結局這い上がるのは自分の力です。周りの人の助けを力に変えられるかどうかも自分次第。当時はすごくしんどいけど、後々振り返れば大したことなく思えます。きっとそれが成長の証です。
私はこの水泳部で、その辺鍛えられてよかったと思っています。これから先、多少の困難が降りかかろうとも痛くも痒くもないでしょう笑
夕方から書き始めたのに結局次の日になりました。ごめんなさい。
全国公、全員ベストに向かって、、、GO!!京大!!!
今日院試組頑張って!!
静夏さんの自分を奮い立たせようという気持ちはいつも伝わってきました。
全国公のラストレース、スタンドからは応援できませんが全力で応援させてもらいます。頑張ってください!!
それでもせいかさんはいつも私たちを引っ張ってくれて、目標を持たせてくれました
本当にせいかさんがいてくれてよかった!
腰も治ったわけではないけど、今年こんめ泳げるようになって、大ベストも見れて本当に嬉しかったです
全国公でもベスト期待してます!
私も最後にベストだしてみせます!
がんばりましょう(^^)