×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
お疲れ様です。4回生の青山です。先週まで実習で脊椎動物の解剖をやってました。解剖したのはアフリカツメガエル、ミシシッピアカミミガメ、モルモットです。カメの甲羅を鋸で切ったりモルモットの皮をベリベリ剥いだり中々貴重な経験ができました。
今日のメニュー(sp)は以下になります。
w-up 500*1 10'00
50*6 drill or form 1'10
SPRINT 50*4 QAP,25H/t 1'30
Loosen 50*1 3'00
DIVE 25*2 4'00
FP 800*1 30'00
今日は七帝前のテーパーでした。しっかり休息をとって明日以降のレースに備えましょう。
玉川君からの質問ですが、私なりに考えて出た答えは「リズムにのりやすい」です。私はテンポを保つために頭の中で好きな音楽を流しながら泳ぐようにしています。Flyは強弱がはっきりしているのでお気に入りの曲を流すと音ゲーをやってる気分になり楽しく泳げるかと思います。まあ個人の主観ですが。
次の日記は太鼓地で、質問は「今まで読んだ中でだれかにおすすめしたい本は?」です。もしなければ本屋で適当に1冊買って読んだ感想を書いてもいいですよ。楽しみにしています。
さて、ここからは慣例に従って最後の言葉とやらを書こうと思う。無駄に長いだけで大して意味はないし外向けの丁寧さもなくなるのでご了承を。
よくこういう場では後輩に向けて「後悔のないような過ごし方を」などの言い回しが使われるが、正直私は後悔というものをあまりした覚えがない。私は基本的に自分にとって正しいと思う選択をしているつもりであり、それによって生じた不都合や損失は甘んじて受けるべきだと考えている。だから私が半ひきこもり状態になった理由も半分は選択の結果だった。私は目的のため、一般的にはそうでなくとも個人的には適切な手段をとったと信じている。
私の実家は小規模な団地だった。近所にはほぼ同い年の子供が5,6人おり、親同氏の繋がりもあったため自然とグループが形成された。そこは潮溜まりのように穏やかで同時に閉鎖された場所だった。集団ができれば自然と階層が生じ、それは子供同士でも例外ではない。かつての私はその中でも底辺に属していた。遊びに行こうと誘われ家を出て、一通り遊んでやることがなくなると退屈しのぎとして袋叩きにされる。私は幼さ故に疑うことも逃げることも知らず、ただなすがままだった。大人たちは子供相手に強引な手を使うわけにもいかず、仲直りさせようと腐心するばかりだった。涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら団地中に響く声で泣き叫ぶ日々。それが私の一番古い記憶だ。
決定的なことが起こったのは私が3歳くらいの頃だった。いつものように泣きわめく私はとうとう腹に据えかね、拙い語彙で必死の説得を試みた。自分の悲しみ、痛み、苦しみをありったけぶつけた。全て言い終わった後、リーダー格の一人がこう言った。
「それが?」
私は心がすうっと凍ってゆくのを感じた。
私は友達の意味を知らない。遊びの延長として人を傷つけるのが私の最初の「友達」だった。
私は常識にとらわれない。私を守らなかったルールには金輪際従いたくなかった。
私は普通ではない。あの苦痛を「あたりまえ」の海に溶かすわけにはいかなかった。
やがて小学校に通うようになるとそのような待遇はなくなったが、私は自分の心を閉ざし続けた。私は未だ檻の中であり口にだせばまた優しい世界が裏返るような気がしてならなかったからだ。次第にだれかと遊ぶ時間よりも一人で勉強や読書に費やす時間の方が多くなっていった。何かに没頭している間は他のことを考えずに済むからだ。スキューバダイビングがきっかけで始めた水泳も、手段の一つになっていった。
そして私は大学進学と同時に下宿を始め、ようやく安らげる場所を手に入れた。しかし同時に長い間自分を縛り続けたツケが回ってきた。
そこからの顛末は皆さんご存知の通りだ。もっとも症状が安定した時点でまたかつてのように部活に励むこともできた。だがそこに待っているのは程度が違うとはいえまた自分を抑え込む生活だ。過去からの脱却を目指した結果がかつての姿に元通りでは意味がない。たとえそれがどんなに正しくても私はその選択をするわけにはいかなかったのだ。
長々と言い訳じみたことを書いてしまった。こんなことをしたのも今まで迷惑をかけた以上せめて理由くらいは伝えるべきだろうというある種の責任感からであるが、果たして納得してもらえるであろうか。まあどちらでも構わない。私が自らの行動の是非を皆に問わなかったように。
先にも述べたが私は異端者だ。自分の矜持のために多くを傷つける存在だ。だが、それでも皆は私を仲間と呼び、受け入れようとしてくれた。そのことには心の底から感謝している。私が辞める辞める詐欺を繰り返しながらも部活を続けられたのはその優しさの中に幼い私が渇望していた純粋な繋がりの幻を見たからかもしれない。私の行いは理由はどうあれ間違ったものだし、この性格も多分変わらないだろう。内心では恨まれたり軽蔑されているかもしれない。それでも言おう。
ありがとう。あなたたちのおかげで私はまだ生きていられる。
今日のメニュー(sp)は以下になります。
w-up 500*1 10'00
50*6 drill or form 1'10
SPRINT 50*4 QAP,25H/t 1'30
Loosen 50*1 3'00
DIVE 25*2 4'00
FP 800*1 30'00
今日は七帝前のテーパーでした。しっかり休息をとって明日以降のレースに備えましょう。
玉川君からの質問ですが、私なりに考えて出た答えは「リズムにのりやすい」です。私はテンポを保つために頭の中で好きな音楽を流しながら泳ぐようにしています。Flyは強弱がはっきりしているのでお気に入りの曲を流すと音ゲーをやってる気分になり楽しく泳げるかと思います。まあ個人の主観ですが。
次の日記は太鼓地で、質問は「今まで読んだ中でだれかにおすすめしたい本は?」です。もしなければ本屋で適当に1冊買って読んだ感想を書いてもいいですよ。楽しみにしています。
さて、ここからは慣例に従って最後の言葉とやらを書こうと思う。無駄に長いだけで大して意味はないし外向けの丁寧さもなくなるのでご了承を。
よくこういう場では後輩に向けて「後悔のないような過ごし方を」などの言い回しが使われるが、正直私は後悔というものをあまりした覚えがない。私は基本的に自分にとって正しいと思う選択をしているつもりであり、それによって生じた不都合や損失は甘んじて受けるべきだと考えている。だから私が半ひきこもり状態になった理由も半分は選択の結果だった。私は目的のため、一般的にはそうでなくとも個人的には適切な手段をとったと信じている。
私の実家は小規模な団地だった。近所にはほぼ同い年の子供が5,6人おり、親同氏の繋がりもあったため自然とグループが形成された。そこは潮溜まりのように穏やかで同時に閉鎖された場所だった。集団ができれば自然と階層が生じ、それは子供同士でも例外ではない。かつての私はその中でも底辺に属していた。遊びに行こうと誘われ家を出て、一通り遊んでやることがなくなると退屈しのぎとして袋叩きにされる。私は幼さ故に疑うことも逃げることも知らず、ただなすがままだった。大人たちは子供相手に強引な手を使うわけにもいかず、仲直りさせようと腐心するばかりだった。涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら団地中に響く声で泣き叫ぶ日々。それが私の一番古い記憶だ。
決定的なことが起こったのは私が3歳くらいの頃だった。いつものように泣きわめく私はとうとう腹に据えかね、拙い語彙で必死の説得を試みた。自分の悲しみ、痛み、苦しみをありったけぶつけた。全て言い終わった後、リーダー格の一人がこう言った。
「それが?」
私は心がすうっと凍ってゆくのを感じた。
私は友達の意味を知らない。遊びの延長として人を傷つけるのが私の最初の「友達」だった。
私は常識にとらわれない。私を守らなかったルールには金輪際従いたくなかった。
私は普通ではない。あの苦痛を「あたりまえ」の海に溶かすわけにはいかなかった。
やがて小学校に通うようになるとそのような待遇はなくなったが、私は自分の心を閉ざし続けた。私は未だ檻の中であり口にだせばまた優しい世界が裏返るような気がしてならなかったからだ。次第にだれかと遊ぶ時間よりも一人で勉強や読書に費やす時間の方が多くなっていった。何かに没頭している間は他のことを考えずに済むからだ。スキューバダイビングがきっかけで始めた水泳も、手段の一つになっていった。
そして私は大学進学と同時に下宿を始め、ようやく安らげる場所を手に入れた。しかし同時に長い間自分を縛り続けたツケが回ってきた。
そこからの顛末は皆さんご存知の通りだ。もっとも症状が安定した時点でまたかつてのように部活に励むこともできた。だがそこに待っているのは程度が違うとはいえまた自分を抑え込む生活だ。過去からの脱却を目指した結果がかつての姿に元通りでは意味がない。たとえそれがどんなに正しくても私はその選択をするわけにはいかなかったのだ。
長々と言い訳じみたことを書いてしまった。こんなことをしたのも今まで迷惑をかけた以上せめて理由くらいは伝えるべきだろうというある種の責任感からであるが、果たして納得してもらえるであろうか。まあどちらでも構わない。私が自らの行動の是非を皆に問わなかったように。
先にも述べたが私は異端者だ。自分の矜持のために多くを傷つける存在だ。だが、それでも皆は私を仲間と呼び、受け入れようとしてくれた。そのことには心の底から感謝している。私が辞める辞める詐欺を繰り返しながらも部活を続けられたのはその優しさの中に幼い私が渇望していた純粋な繋がりの幻を見たからかもしれない。私の行いは理由はどうあれ間違ったものだし、この性格も多分変わらないだろう。内心では恨まれたり軽蔑されているかもしれない。それでも言おう。
ありがとう。あなたたちのおかげで私はまだ生きていられる。
PR