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どうも、最近ヘンテコな呼び名が流行っていますね、村上です
早朝連になかなか参加できなく、日記は久しぶりです
さてさて、今日の強化練は…
am
w-up等々30分ほど体を温める
↓
30分間kick (1分max+30秒Easy)×20set
↓
pullでしっかり距離を泳ぐ(cは200×9 3’10)
↓
30分間kick (2分max+1分Easy)×10set
↓
50×8 2H1Eの後、25×4 10秒壁kick +25Hard
pm
w-up 400 8'(300 7')
50*6 4des+2Form 1'10(1'20)
swim Fr 100*6 1'30(5t 1'40)
kick (cho 200*1 4'+S1 50*6 50")*2 ((200*1 4'30+ 50*4 1'05)*2)
Drill 100*3 2'20(2'40)
rest 5’
swim IMO 50*8 1'(1'20)
pull Fr 400*1 6'20(200*1 3'30)
swim Fr 400*1 6'20(7')
swim Fr 100*6 1'30(1'40)
rest 1’20
swim Fr 200*9 2Form1Max 3'20(1tcut 4')
カッコ内は僕が泳いだCのサイクルです
amのkickがメインのメニュー、pmのrest少なめで2時間泳ぎ続けるメニューは両方ともあまり経験の無いものでした。
強化練は僕にとって、毎日が体験したことのない大変さなのですが今日は特に足にキています。
今日は普段と違ったトレーニングができて非常にいい経験ができた気がします。
今週の強化練は、木曜pmにテストで15分程遅れた以外はフル参加しています。残念ながら明日は法事で行けません。
強化練の前は、弱弱しい僕をぜひとも強くしてくれと結構楽しみにしていました。
実際本格的に参加すると弱弱しさというかボロがどんどん出てきているわけですが。
それでも一週間で普段の何倍もの距離を一生懸命に泳いで強くなってないわけがない!と信じています。
近国では今までとは違う僕を見せてやります。
そしていずれはレギュラー、そして試合で点を取る選手になる。七帝、関カレと皆さんのカッコいい姿を見てきて、本気でそう思っています。
以上です。明日は行けないですが強化練もあと3回、頑張りましょう。
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無題
自分は1回生のときは高校までの生涯ベスト出してもレギュラーじゃなかったし、点数取るどころか試合にも出れませんでした。
1回生の時に強化練習全部出たのは僕だけです。で、僕が1番伸びたと思います。(よね?)
頑張ったらその分は報われるよ頑張ろう~!
1回生の時に強化練習全部出たのは僕だけです。で、僕が1番伸びたと思います。(よね?)
頑張ったらその分は報われるよ頑張ろう~!
ちゃんと生きてますよ
ここ数日、強化練に混ぜてもらってました。全国公組に顔を出してなかったのはそんな理由です。
とても良い雰囲気の中、練習させてもらいました。佳の盛り上げもすごいですが、何より泳いでるみんなが盛り上がってる気がします。
特に、ダイブでベストを出してた岡広や美悠ちゃんがすごかったですね。元気をもらいました。
あと数回ですががんばりましょう。ありがとうございました。
とても良い雰囲気の中、練習させてもらいました。佳の盛り上げもすごいですが、何より泳いでるみんなが盛り上がってる気がします。
特に、ダイブでベストを出してた岡広や美悠ちゃんがすごかったですね。元気をもらいました。
あと数回ですががんばりましょう。ありがとうございました。
引退応援なるものについて
僕はあの「引退応援なるもの」はどうしても好きません。言葉には力があります。古の人はそれを言霊と呼び畏怖してきました。「口は禍のもと」「きじも鳴かずばうたれまい」「もの言えば唇寒し秋の風」と、少し考えつくだけでも多様に表現されており、日本人は悪い言葉のもたらす禍について敏感であったということができます。
一方、正しい言葉を用いることは、素晴らしい果実を私たちにもたらしてくれます。比叡山の僧侶は身を清めるために観音経を唱えるでしょう。また、美しい言葉のハーモニーによりつむぎだされる和歌には、古より「力も入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思わせ、男女の仲をやはらげ、猛き武士の心をなぐさむる力」があるとされてきました。(古今和歌集仮名序より)
さて、あの「引退応援なるもの」は下品で卑劣、かつ他人のプライバシーに入り込むものではありませんか。最後のレースを泳ぐ4回生に向かって、悪い言霊を発する下回生諸君の心持ちはいかがなものでしょうか。
あらゆる社会には、長く続いてきたものでも、因習によるもので、改善していくべきものがあるものです。江戸時代に主流であった丁髷(ちょんまげ)を今日する人は(多分)いませんし、中国には纏足(てんそく)という風習がありました。
ただのチームではなく、良いチームであるために、守るべきところは守るとともに、捨てるべきものは捨てる勇気を持つことも必要ではないでしょうか。
一方、正しい言葉を用いることは、素晴らしい果実を私たちにもたらしてくれます。比叡山の僧侶は身を清めるために観音経を唱えるでしょう。また、美しい言葉のハーモニーによりつむぎだされる和歌には、古より「力も入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思わせ、男女の仲をやはらげ、猛き武士の心をなぐさむる力」があるとされてきました。(古今和歌集仮名序より)
さて、あの「引退応援なるもの」は下品で卑劣、かつ他人のプライバシーに入り込むものではありませんか。最後のレースを泳ぐ4回生に向かって、悪い言霊を発する下回生諸君の心持ちはいかがなものでしょうか。
あらゆる社会には、長く続いてきたものでも、因習によるもので、改善していくべきものがあるものです。江戸時代に主流であった丁髷(ちょんまげ)を今日する人は(多分)いませんし、中国には纏足(てんそく)という風習がありました。
ただのチームではなく、良いチームであるために、守るべきところは守るとともに、捨てるべきものは捨てる勇気を持つことも必要ではないでしょうか。