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みなさん今日も一日お疲れ様です。博士課程1回生の優です。今日は日記の担当をさせて頂けることとなり、とても嬉しく思います。
早速ですが今日のメニューです。
昨日はbrokenで練習が非常に高強度だったため、今日はリカバリー目的のメニューでした。関選まであと3週間を切っていますので、来週以降はスピード・持久力を維持したまま疲労を抜いていく時期になるかと思います。今日のメニューのメインのdesは綺麗なフォームでスピードをhardまで上げていくという内容でしたので、昨日の疲労を抜きつつスピード感のある練習をするにはかなり良かったなと感じました。
さて今日は貴重な日記の担当を頂きましたので僕の自己紹介がまだの方もいらっしゃることと、メンバー唯一の院生ということで、自己紹介も含めて学部回生時代の水泳生活について、少しお時間頂きお話しさせて頂きたいと思います。
僕は1988年5月18日生まれの現在26歳、出身地は神奈川県横須賀市で、神奈川県立横須賀高校を卒業しました。幼い頃からスポーツが大好きで、高校3年生までずっと体育大学志望でした。勉強は大嫌いで、授業をさぼって校内の球技大会の練習に全力を注いでいたくらいのスポーツ好きなのですが、勉強で唯一化学が大好きだったので、化学を学びたいと高校3年生の冬に薬学部へ進路変更をしました。競泳は小学3年生の時に本格的に始めてこれまで続けてきたのですが、水泳は体育大学でではなく、薬学部で薬学を学びながら部活でと決めました。一浪の末、星薬科大学薬学部薬学科(6年制)に入学しました。そして、昨年3月に同大学を卒業し、現在は薬剤師として臨床現場に立ちながら京都大学大学院医学研究科の博士課程に在籍しており、京都大学iPS細胞研究所山中伸弥研究室に所属してiPS細胞を用いた再生医療の基礎研究に取り組んでいます。
星薬科大学に入学した2008年当時、iPS細胞の誕生によって世界は沸き返っていました。「iPS」と「山中」という単語を毎日のように耳にしたことを今でもはっきりと覚えています。いったい如何様なものなのかと調べる中で、医療におけるiPS細胞の可能性と山中伸弥の人柄に惹かれ今の道を志しました。京都大学の水泳部で泳ぎたいと思ったのは本気で山中先生のもとでの研究を志した学部3回生の頃でした。
「山中先生のもとで研究をしながら京大の水泳部で泳ぐ」
これがこれから話す僕の学部生時代の水泳生活の中で生まれたひとつの目標でした。
僕は星薬科大学の合格が決まってすぐ、水泳部に入ることを決めました。
「薬学を学びながらインカレ出場」
ということが浪人中に決めた学部生時代における僕の一番の目標だったからです。しかし入部直後、僕は失意のどん底まで追いやられる事になります。なんと星薬科大学の水泳部は学連登録をしていない部活だったのです。学連登録がないチームはインカレに出場することができません。入学直後に一番の目標が打ち砕かれようとは思ってもみませんでした。インカレは大学生スイマーなら誰しもが目指す大舞台です。僕はどうしてもインカレを諦められず、水泳部とは独立して有志メンバー数人を集めて学連登録することにしました。これが僕の学部生時代の水泳生活の始まりです。
学連登録とひとこと言っても決して簡単なものではありませんでした。まず学連登録に関する書類を集めることにとても苦労しました。ネット上のどこを探しても見つからず、大学の近くにあったスイミングクラブの方に助けて頂き書類を集めました。何ヶ月もかかって書類を完成させて学連に送ったのち、学生連盟の会議に出席しなければなりませんでした。新規登録する団体は学連全体の承認を得なければならず、その団体の代表者が他大学の学連メンバーの前で挨拶をしなければなりません。その他にも書類を送るための雑費、新規登録費用、会議に行くために遠出する交通費などで何万円ものお金を全て自分達個人で負担しなければならないという経済的な困難がありました。それらのお金を作るために週4回以上、授業と練習の合間を縫って必死でアルバイトを続けていました。
学連登録に費やした期間はまるまる1年間です。つまり、僕が1回生の時は公式戦には一度も出場できなかったのです。僕が初めて学連の公式戦で泳いだのは2回生の6月、夏季公認記録会でした。初めて学連の試合で泳いだその日のことは今でも忘れられません。目の前で自分と同じ年代の選手が半フリを22秒台で泳ぐ、同じ人間とは思えない巨大な筋肉をまとい、黒光りした体で泳ぎ終わった後、分厚い腹筋をふくらませながらふーふー言っている。自分も絶対いつかああなってやると思いました。
皆さんは学連の試合に出場する際、チームからひとり、役員を出さなければいけないことをご存知ですか?僕たちもその例外ではありませんでした。つまり、試合に出場する際はいつも、朝はアップよりも優先して役員会議に出席しなければならないということです。僕はいつも会議室から公式練習のピストルを聞いていました。ですので、僕は初めて公式戦に出場した2回生の6月から4回生の8月に関東学生選手権で引退するまで満足にアップをしてレースに臨んだことが一度もありません。
練習環境を得ることにもとても苦労しました。大学のプールは屋外であったため夏の短い期間しか使えませんでした。僕は学部生時代、練習環境を求めて数え切れないほどのプールやチームを転々としました。横浜国際、千葉国際、辰巳、関東の水泳の聖地は無論制覇しました。幾つかの水泳チームを転々とした際、時には暖かく迎え入れてもらえました。時には“部外者”への冷たい視線を浴びせられました。
お金が異常なほどかかる、アップは満足にできない、部外者への冷たい視線、水泳を辞めたいと思った瞬間が数え切れない程ありました。それでも僕が今日も水泳を続けていられるのは僕に泳ぐ場を与えてくれた多くの人々との出会いがあったということと、水泳が本当に大好きだからです。
5回生終盤の12月、東京都品川区にある小さな市民プールで練習している際にある一人の先生が声をかけてくれました。
「どこかで水泳やってたの?今度新しいチームを作るから一緒にやらない?」
迷わず「はい」と返事をしました。このチームがいつも僕がストレッチの時に着ているウェアの「Team Next One」です。Next Oneは高校生、中学生、小学生のメンバーが主体で、大学生は僕ひとりだけでした。かなり年上だったにもかかわらず彼らは「優くん、優くん」といつも明るく接してくれました。純粋に水泳に打ち込む彼らの姿を見て、僕も彼らのように水泳に対してひたむきであろうといつも心がけています。
京都に来た昨年は京都踏水会の成人コースで泳いでいました。昨年12月、僕は急性胃腸炎にかかり1週間ほど寝込んでしまったことがありました。頭にまで菌が回ってしまっていたのか、病み上がり、踏水会に行く時間を間違っていつもより30分早く着いてしまったんです。何やら外のプールから音がするなと思ってのぞいてみると、ピンク色のかわいいキャップをつけた筋肉の山岳地帯のような背中をした男性がものすごい速さでバタフライを泳いでいたのです。京都大学水泳部のインカレメンバーの一人である佐藤開一君でした。学部生の頃から京大水泳部のHPを見まくっていた僕にとって開一君は山中先生に勝るとも劣らない有名人でした。いつもは30分遅く来るので見ることのなかった憧れの京大水泳部の練習に釘付けなっていると、突然やってきた踏水会の会長さんである檀野先生が笑顔で声をかけてくれました。
「野村君何で京大の水泳部入らんかったんや〜!?おれに相談してくれたらよかったのに!話し通したるよ!」
ここから啓太郎君へ話を伝えて下さり、これが僕が京都大学水泳部に入るきっかけとなりました。そして昨年の12月19日、中央食堂で啓太郎君と寿起君と初めて会うこととなり、ふたりが「ぜひ一緒に」と笑顔で答えてくれたことは一生忘れられない瞬間です。
今日、水泳部の皆さんにお伝えしたいのは「ありがとう」という感謝の気持ちです。初めて練習に参加した日、最初にお会いしたのはオデ君です。オデ君は自己紹介をするや否や「ところで発生生物学の本は何がオススメですか!?」と明るく尋ねてくれました。LINEのチームオデMAXに参加させて頂いた時にはみんなが返信をくれました。それ以来、みんなが「優さん」といつも呼んでくれることをとても嬉しく思っています。それから、いつも筋肉MAXの開一君がさやねえの写真で返信をくれた時、そのギャップが最高でした。実は僕もさやねえは結構タイプです。開一君、仲良くしましょう。餅つき大会の日はひなちゃん隊長が話しかけてくれたり、阿柚子ちゃんが前にしていたちょっと高級な飲み屋のバイトの話を聞かせてくれたり。ここに書ききれない他のみんなも明るく話しかけてくれました。最高のメンバーです。練習中はいつもみんなが周りで泳いでくれています。マネージャーさんがタイムを読み上げてくれます。試合の日にはバスがあって、毛布もあって、メガホンも、ビデオも、素晴らしい応援もあります。かつて僕は来る日も来る日もたったひとり市民プールで練習し、たったひとりで電車に乗って試合会場へ向かい、毛布もメガホンもビデオも応援もなしに、たったひとり4回生で他大学の下回生の学連役員メンバーに囲まれながら公式練習のピストルが鳴り止むのを聞きました。
もし、啓太郎君と寿起君に出会わなければ、僕は今みなさんと一緒に泳げませんでした。僕がふたりと同じ年の時にかけた目標は一生叶わないものだったのです。ですから、今こうしてみなさんと一緒に練習させいただいている毎日、こうして自分が京大水泳部の日記を書かせていただけているこの瞬間、僕にとっては本当に夢のように幸せな時間です。啓太郎君と寿起君、そして水泳部の皆さんには感謝してもしきれません。これからの毎日はみなさんとたくさん泳いで、たくさん笑う、そんな毎日にしたいです。
みなさんもどうかこの京都大学水泳部という素晴らしいチームでの時間を当たり前のことと思わず、一瞬一瞬を大切にして欲しいです。インカレ、日本選手権、東京オリンピック、水泳のことはもちろん、これからどんな生き方をしようか、日本のため、世界のため、大きな目標を掲げて、唯一無二の仲間達との時間を大切にして、一瞬一瞬を大切に、大切にして欲しいです。もちろん僕もそうあろうと思います。競泳人生における僕の自己ベストは学部3回生の時に短水路で記録した半フリ24秒70、1フリ54秒70です。まず最初の目標は年内にこの2つのベストを更新することです。その先の目標は・・・、今度直接語り合いましょう。
今日も僕が泳げたのはこれまで泳ぐ場を与えてくれた多くの方々、Team Next Oneのみんな、踏水会の方々、そして京都大学水泳部のみなさんのおかげです。本当にありがとうございます。
これからも感謝の思いを胸にみなさんと一緒に大切な時間を過ごしていきたいです。
12月にそんなことがあったんですか。笑
知りませんでした。
この日記を読んで部活動や競技に対して考え直させられました。
これから一緒に頑張っていきましょう!
12月くらいに踏水会の人に優さんのことで声をかけられて大和に伝えたのは何を隠そう、私です。
だからなんだって話ですけど笑
いろんなことに対して当たり前だと思い過ぎてたことに気付かされました。
これからもよろしくお願いします!!
いつも優さん笑顔を見て「僕も負けてられない!」って思うんです。
いつも元気をありがとうございます!(^^)
僕たちも優さんとの出会いは衝撃的で、今後優さんがどんなことを僕たちに教えてくれるんだろう、優さんと一緒にどんなことができるんだろうと、毎日ワクワクしています。
そう考えると、もっともっと早く優さんに出会えていれば、と後輩のみんなを羨ましく思えてきます笑
これからまだまだたくさんのことがあると思いますが、その一つ一つで「当たり前にできることのありがたさ」を感じながら乗り越えていきたいと思います。
一緒に夏まで突っ走りましょう!!
今後もよろしくお願いします(*^^*)
そんな環境をありがたいと思う心を忘れないようにしたいと改めて思いました。
これからよろしくお願いします!