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「二村がやりたいことがなんだったのか、もう一度考えてみたら?」
たくさんある言葉の中で、あえて選ぶとしたらこの言葉でしょうか。
今年の2月、ご飯に連れて行ってもらった後2人で入ったカフェで、コーヒーを飲みながら敬愛する大先輩西川さんに言われた一言。
ラストイヤーを半分終えて、もうすぐ新入生を迎えるという状況の中、今くいかないことが多くてくよくよ悩んで、でもあまり気軽に誰かに相談できなくて(自分の性格上)、どうしようどうしようとぐるぐる考えていたところにお昼ご飯のお誘いを受けて、恥ずかしながら色々な悩みを聞いていただいたときのことでした。西川さん大好き。
あとは曽根さんが引退あいさつでおっしゃった「やりたいと思ったことは3回生までに」です。今になってみれば本当にそうだなぁと思います。
思えば、先輩からかけていただいた言葉ってたくさんあって、どれもすごく心に刺さったはずなのにきちんと一字一句覚えている言葉ってあまりありません。上の西川さん、曽根さんの言葉然り。
それは多分、誰一人として全く同じ環境にいる人などいなくて、だからその言葉が浮かぶきっかけとなった環境と全く同じ状況に自分が置かれていないのは間違いがない。
だからこそすべての言葉は自分の境遇や体験に置き換えて「かみ砕いて飲み込む」操作が必要だ、という考えが僕の根底にあり、かみ砕いた瞬間にその言葉を一字一句間違いなく覚えている必要がなくなる。そもそもかみ砕こうと思えない言葉は覚えようとしないからなんだと思います。
だから僕の言葉も、もし万が一億が一心に響くような言葉があったら、ぜひかみ砕いてください。一字一句覚えてなくていいです。
図らずも冒頭で名乗りました。ラストイヤ―二村です。
俺、ラスト日記いつだろう、そもそも書くんだろうか…って人ごとのように思っていたら思わぬ指名を受けました。
とりあえず今日のSPメニュー。
W-UP 400*1 8:00 SKDS choice
100*8 1:45 1-4t)25sculling+75Build up 5-8t)Des to smooth fast DPS
KICK 200*2 4:00 1t)けのびKICK with Fin 2t)speed up
50*8 1:00 25Head up+25smooth
SWIM 200*3 3:00 Des to moderate Negative
100*3 1:30 Des to moderate Negative
SWIM*4set
50*2 1:15 drill or form
+100*1 2:00 質の高いDes to Fast
DOWN 400*1 10:00
ここ最近、右手のキャッチインパクトの弱さとドルフィンの気持ち悪さがなかなか解消できずにもやもやしていたのですが、どちらも今日解決のきっかけがつかめました。全国公とインカレに向けて作りたいフォームがクリアにできて久々にすごくいい感じです。
こういう感覚をつかみに行くのに重要なのがW-UPだと個人的には思っているんですが、最近アップに対する姿勢が気になります。極端な例ですが、400*1をFrだけでスピードのメリハリをつけることもなく泳いでいる人とか。とりあえず8分で400回ればいいやー、という考えなんでしょうか。全身を動かして感覚を確かめて、それをスピードを上げ下げしても保てるか確かめることを考えたら、もっと多種目で、道具もつけたり外したりして、スピードも上げ下げがあっていいと思うんです。有意義な400にしたら、練習の密度も変わってくると思います。
あくまで個人的な考えであることを強調しておきますね。
さて、本当にラスト日記が来てしまった。先輩方や同期のラスト日記って、すごく心に刺さって涙が出るようなものが多いと思いますが、僕の場合泳ぐこと自体はそこそこ速いと思ってもらえていたらうれしいけれど、チームの構成員として褒められるような一員ではなかったことは間違いがないと思っているので、どれだけの人に届くのか、と書きながら不安になっています。でもまぁ、ぽつぽつ書きますね。読む気が起きない人はそっとブラウザを閉じてください。きっと長いですし。笑
水泳部に入ってよかったー、辛かったこともあったけど後悔はほとんどありません、やりきりましたーっていう引退日記がかけたらどれほどよかったかと思いますけど、正直自分の引退に納得はできていません。
思い当たる理由は2つ。
1つ目は、ケガと、それを理由、または言い訳とする自分の行動。
ケガをした時点で自分が思い描く引退ができないことは覚悟していましたが、それでもやはり悔しいものがあります。
自己管理の甘さがケガにつながったといえば否定はできませんし、もっと練習に出るように毎日の生活を工夫できただろう、と言われればそうなのかもしれない。でもできなかった。
更にいえば、ケガをしたときに部活をやめてしまえばよかったのかもしれないという考えは常に頭の片隅にあります。
自分の体調に合わせて練習量を調節することに否定的(だと感じている)なこの部において、たぶん僕の存在はチームの結束を揺るがしかねないものだったのだろう、とか、練習大して来ないくせにレギュラーとりやがって、とか、腰痛を理由にきつい練習避けすぎだろ、とか、思われているんだろうなーっていう被害妄想は常にありました。今もあります。本当に怖い。
後輩からするとなんとなく近づきがたい先輩になってしまったと思うし、その一因としてこの被害妄想を基にするチームメイト不信があったと思うし、その裏返しとして攻撃的な考えを持ってしまっていたからなんだと思います。練習参加に関して話が出るたびに「じゃあお前がこの腰痛どうにかしてくれるのかよ!代わりに引き受けてくれるのかよ!!」と思ってしまっていた。自己管理甘かったくせに。
そうした精神的甘さとか、このチームの雰囲気に逆らった結果は、僕の対抗戦での戦績にも顕著に表れています。本当に勝負弱い。部外からのプレッシャーより、部内からの負のプレッシャーを勝手に感じて勝手に委縮して勝手に負けて勝手にしょげてた。本当に情けなかったなと思います。
2つ目は、モチベーションを外部に求めてしまったこと。
自分が水泳を続けてきた理由ってなんだったかと思い返せば、強烈な劣等感と承認欲求でした(実は水泳に限った話でもないんですけど)。1つ上の金光先輩の言葉を借りれば、「水泳が目的ではなく水泳は手段」でした。限りなく欲張りな話だけれど、自分より何かが秀でている人が自分の近くにいることで自分の価値が下がってしまうみたいなよくわからない焦りが常にあって、それをどうにかして埋めなければ、というのがモチベーションでした。そして水泳の場合、僕の劣等感の根源は兄にありました。高校まで、とにかく越えられない壁として、一番身近にかつ残酷に立ちはだかっていたように感じていました(今ではそうは思いません)。
高校のラストレースで兄の記録や順位を越えられなかったとわかった瞬間に、悔しさと、自分はこの劣等感を一生抱き続けるのだろうという絶望(大げさ笑)で泣きました。
大学に入っても水泳を続けることを決めたのも結局はその焦りをどうにか消化してやろう、という考えでした。
結果、兄の記録を越えることがかなった今でも、あまり満たされていません。
純粋に、「速くなりたい」「強くなりたい」という理由で水泳に向き合うことができていたら今とどれほど違う引退を迎えていただろうかと、思わなくもありません。
人生に“if”がない以上、そうしたところで今より幸せだったかの確証はないんですけど、例えばゆうじとか潤のように、純粋に速くなりたいと思って練習している(ように見える)人は、すごくまぶしく見えます。
反面教師にしろ、とは言いません。それでも僕の話を読んで、後輩のみんながより気持ち引退に向けて日々の選択をできるようになってくれたらうれしいです。
話は変わって、後輩に伝えたいことが2つあります。
1回生冬からの休部を通して、「もっと自分を大切にしなさい」「他人のためより自分のために動くことを少しは考えなさい」という言葉を、主に当時主将だった田畑先輩から頂き、冒頭の西川さんの言葉でそれを再確認して、結構やりたいようにさせてもらったな、という自覚はあります。その言葉を拡大解釈しすぎて、結果やりたい放題しすぎた。部の一員としては許されるギリギリの行動(一部はアウトだったかもしれない)がかなり増えてしまった。気づいたころには引退目前でした。あと1年あったら…と思わなくもありません。先輩、同期、後輩の皆さん、特に現Fr1のメンバーには迷惑かけました。本当にごめんなさい。そしてありがとうございました。Fr1のみんな、最後まで頼りない有言不実行パートリーダーを許してください。
そして、一番僕がチームに貢献できたのは、たぶんドライのメニュー作成だと思います。欲を言えば腰痛で進行を務められなかった数回は少し心残りだけれど、そしてギータやゆうじをはじめとする歴代のメニュー係の皆さんには遠く及ばないけれど、1年間メニューを作ったことは胸を張って誇れます。みんなの身体的能力をどうにか引き出せないかと必死で考えて作ったものです。かなりオリジナリティのあるメニューに仕上げることができました。
ドライメニュー作りを通して感じたのは、もっと自分の身体感覚と知識に貪欲になって欲しいなということです。学連のテクニカルカンファレンスで驚いたことですが、2部校の多くは、例えばなぜ体幹のトレーニングが重要なのか、というようなトレーニングに関する知識があまりありません。これは勝機だと感じました。
昨年の勉強会、今年のドライと2年続けて、その勝機をできるだけ活かしたいという僕の思いを形にしたものです。
身体感覚がよくなれば、フォームの修正やアップのバラエティー、試合の日の感覚の作り方など、練習の密度を格段に上げることも不可能ではないはずです。
総括すれば、誰でも「自分は自分でしかない」ということを、良くも悪くももう少し自覚するべきなのではないかということは引退する身になって思います。
自分のことは自分にしかわからないのだから、自分が納得するような理由のもと毎日の行動を決定するのだということ。決めたのは自分なのだから自分で責任をとるのだということ。
誰かのことを完全に理解すること、自分のことを誰かに完全に理解することが難しい上に、集団として行動する必要がある(行動することを選んだ)以上、それを言葉にしようとすること、それを聞き取ろう(読み取ろう)とすること、お互いを理解するための行動を積極的にするべきだったのだろうということ。
いずれも僕は中途半端でした。だからきっと、自分で納得のいく引退にはできない(だろう)し、チームの一員としてもイマイチなんだろうと思っています。今だから思えることだけど。
それでも何とか、4年近くやってこれました。何度やめることを本気で考えたかわからないほど、本当に苦しい4年間でした。
諸先輩方。二村はなんとか自由形で引退できます。先輩方に頼りっぱなしだった二村ももう引退です。きちんと引退できるところまでこれたのは多くの先輩方の支え、特に、退部を引き留めてくださった方々のお陰です。ありがとうございます。
同期のみんな。休部してた時に待っててくれて本当にうれしかった。帰ってこれてよかった。みんなの理解と支えのもと、今日を迎えています。ありがとう。
後輩のみんな。上でも触れたけど、いろいろ不満はあったと思いますが、それでも最後まで僕を先輩でいさせてくれてありがとう。全国公後も練習に顔出したら、表面上だけでもいいので暖かく迎えてください。できるだけ迷惑はかけませんので。笑
今年の夏季公翌日の日記にも書きましたが、本当に感謝の念に堪えません。
まとまりのなさは勘弁してください笑
ラスト日記ですが、まだ引退しません。
こんな僕ですが、残り2試合、応援をよろしくお願いします。
次は市川…にしようと思ったけど院試が…とごねたのでギータにお願いします。
質問しなくても語ってくれそうだけど、メニューを1年作り続けた思いの丈を語ってください。
写真は、個人的に好きな1枚。七帝にて。
京都大学体育会水泳部
『湧昇』
2017.8.4
二村成彦
個人的にも完全オリジナルで陸トレメニュー組んでくれたこともありがたかった
圧倒的感謝
全国公後も本当に気軽に練習に来てください。
まだまだ一緒に練習しましょう。
ゆーじさんのスイムのメニューと、もう1つは二村さんの筋トレメニューのおかげなのではないかな、と思います。というのも、去年より泳ぎが力強い、などと言われることが増え、体幹の強化を感じたからです。ありがとうございました。
また、MVなどもありがとうございました。関カレビデオは保存してレース前何度も見たり、レース中も思い出しました。
3年間弱、可愛がってくださりありがとうございました。これからも宜しくお願い致します。
引退してから速くなる方法はマジで1つじゃないな〜としみじみしてる身としては、
ケガしてる選手やモチベーションが上がらない選手のマネジメントもメニュー係としてしっかりやらなあかんかったなと反省しております。
納得せずに引退してしまう理由はよく分かったけど、どうすればより納得できそうだと考えてるのかは興味ある。
まだ全て終わったわけじゃないし、あと少しガンバ〜(俺のバタフライの方が二村のクロールより速い)
合宿や大会でのにむにむしか知らないけど、Twitterでインカレ速報切ったの見た時とっても嬉しかったです。最高の引退レースにしてください。
まずは全国公で会えるの楽しみにしてる!
そして、インカレ切りのレースは本当に興奮したし、勇気を頂きました。あと2レース頑張ってください!
合宿では確かに腰が痛くて思うように泳げていなかったイメージが強いけど、かわりに「自分にできること」としてドライのサポートやらマネやら声掛けやらをしてくれていたこと、今でもすごく感謝しています。個人的には、にむにむの声掛けはすごくやる気が出て大好きでした。笑
ラスト2大会、選手として気持ちよく引退できるように頑張ってね!