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春休みに入ってからバイトのない日は、
部活→朝ご飯→朝寝→昼ご飯→昼寝→家事→夜ご飯→ダラダラ→就寝
みたいなことが何日かあります。
さすがに寝すぎで、逆に体に悪そうなので土曜日からnanoblockで大阪城を作り始めました。ボケ防止にもなります。2月中に作り終わるように頑張ります。
お疲れ様です。1回生の下田です。
今日のメニュー
WーUP 400*1 SKPS
50*8 1-4t IMO 5-8t DPS
Kick 100*6 1-4t Des 5-6t Speed Keep
50*6 25H-E Build Up Hard
P or S 200*6 Even Pace
100*4 Max Speed
Form 50*8
Swim 100*8 1-4t Des to Hard
5t Smooth 6-8t Hard
Down 50*4 15m Pitch Up
50*4 Loosen Down
メニューをつくってくださったゆういちろうさん、マネージャーのなつきさん、かなさん、今日もありがとうございました。
月曜日のメニューはすごく苦手ですが、最近200に対する精神的ダメージが少しだけ軽くなってきたような気がします。春室は関国以来の200Baに出るので気負わずに大ベスト更新を狙いたいと思います。
では、合格体験記を書いていこうと思います。私は一浪しましたが、現役時の記憶はほとんど抹消したので、そこはかなり省略してます、ご了承ください。
京大を目指したのは小6のときです。まわりの人よりすこーしだけ早いのかな。だからといって人と違うことをしてきたわけではないですが。
小6の夏休みの最後の3日間で父と京都旅行に行きました。このときに寺社巡りと京都の町並みが好きだったのと、大好物の抹茶があるからという理由で大学生になったら京都に住もうと決めました。当時、京都にある大学は京大しか知らなかったので、自然と志望校は京大にしました。
このときはそれだけの理由でしたが、全く生半可な気持ちではなかったし、両親にも京大に行くと言っていました。旅行から帰ってきてすぐに500円玉貯金を始めました。(まだ開けてないので次帰省する時に開けようと思います)
そして、中学受験、高校受験を経験して、どちらも第1志望校に無事合格しました。
私の高校は史遠と同じように四年制高校と言われ、現役に厳しく浪人に優しい学校でした。
小3から高校に入るまでは本気で小学校の先生になりたいと思っていました。でも、中学校のときにあらゆる場面で人間の性格の裏表というものを知ってしまいます。先生って本当に大変だろうなと思い、夢をかえることに。
高2になるときに文理選択があって、医者と看護師以外の医療関係、特に臨床検査技師に興味を持ち、その道に進むことを決めて今の学科を志望しました。
一気に飛びます。
現役のときは前期京大、後期神大の国公立だけ出願しました。絶対にありえないと言われましたが、もし前期で足切りとかにかかったら、何も受験せずに終わるのはさすがにやめた方がいいかなと思って、後期は関西の国公立から適当に選んで出しました。
で、前期は不合格。
夏の初めての京大模試では、苦手な理科を3時間のうち30分で終わらせることができました。これでも記述以外は全てうめてあります。もちろん分からなすぎて9割は勘ですが。そのときと比べれば本番では3時間かけて解けるようになったし、自分の全てを出し切ったので、悔しいとかいう感情はなかったです。
ただひたすら虚無感。
結局後期は受けませんでした。前期試験が終わってから筆箱を1回も開けてないのでシャーペンの持ち方すら覚えているか分からないし、やる気もないし、もし受かったら絶対神大に行きたくなると思ったので。
ただ、新幹線の切符をすでにとっていたので、その分で父と京都旅行に行きました。
やっぱり京都はいいところだなと感じるとともに京大再チャレンジに覚悟を決めました。
旅行から帰ってきてどの予備校にするか考え始めます。鹿児島には駿台や河合塾など大手の予備校はないこと、一刻も早く京都に行きたかったことから、京都の駿台に行きたいと両親にお願いしました。即却下。
その後もたくさん情報を集め、私にしては珍しく粘りましたが、効果はありませんでした。返ってきたのは「絶対メンタルやられるよ」その一言だけでした。
ということで諦めて、鹿児島高等予備校、通称"高予備"に入りました。
結論、本当にこの選択でよかった。
今の一人暮らしでも寂しいのに、これで勉強だけの生活だったらメンタル崩壊してたと思います。
高予備は規則が緩くて、チューターから自習はすすめられますが別に強制ではありませんでした。なので、私は月~土は8時すぎから18時半まで予備校で授業&自習、日曜の朝はは高校で浪人生のための理科の補習を受けました。残りは全て家です。多分他の浪人生よりは予備校にいる時間がかなり短いと思います。
その分、予備校にいる間は気を張りながら勉強して、家に帰ってきてからは少しリラックスしながら勉強するというようにメリハリをつけるようにしていました。とにかくメンタルをやられないように。
疲れた時は10分だけスマホを触ってもいいと決めて、京大に合格したときのために物件探したり、バイトを調べたりしていました。ちなみに今やってる塾のバイトもこのときに見つけました。
一見、緩すぎる生活ですが、現役時と比べると成績はかなり上がりました。そのおかげもあって焦りすぎることなく、気楽に浪人生活を送っていたように自分では思っていました。
いよいよ受験校を考える時期。
11月ぐらいに、もし京大がダメだったらどうするかという話を母としました。その頃には二次型の模試ではA判定をキープできていたのでいけるんじゃないかという思いもありながら、「ダメだったら私立にいくか、もう一浪っていう選択肢もあるかな」と話すと、
母に「もう一浪はやめなさい」と言われました。
金銭的なことや私の将来が不安なのかなとあれこれ考えながら理由を聞いてみたら「見ていてかわいそうだから」と。
私は誰に対しても自分の感情を100%伝えることができないです、たとえ家族であっても90%ぐらい。特にマイナスな感情は自分のうちに秘めておきたいし、泣きたいときは人にあまり見られたくないのでお風呂に入りながら思いっきり泣きます。そうすればシャワーの音で泣いてるか分からないし、目が赤くてもシャンプーが目に入ったとか言って嘘つけるから。
そんな私なので、浪人生活が嫌だとかしんどいとか一切口にしていませんでした。でもやっぱり親はすごいです。私の心の片隅にあった感情を読みとっていたんだなと思いました。
浪人生活も残り少し。
共通テストに臨みましたが結果はE判定。(何を書いたか覚えてない箇所があって採点ミスったので実際はD判定だったみたいです)
これまでもマーク模試はだいたいCかDで、2次型がA、総合Aみたいな感じだったので、チューターに全然大丈夫と言われたし、自分でもなんとかなると思いつつも、実際E判定をつきつけられると絶望でした。そこから1ヶ月は生活リズムは変えず、ただ人間としての感情を全て捨てて勉強しました。
そして、2月に入り、初めて共通テスト利用の私立の合格通知をもらいました。このとき、妥協とかではないのですが、思わず「もう一浪は免れた!」と本音が溢れ出てしまいました。
兄が東京にいるので、私立に行くなら東京と言われていたため、一般入試では東京の私立複数校と、京都への最後の望みとして立命館を受け、無事に合格しました。
が、立命館のキャンパスが滋賀にあることを受かってから知り、京都に住むためにはいよいよ京大1本になってしまいました。
しかし、その状況が自分を奮い立たせてくれ、大逆転で京大に合格することができました。自分の受験番号を見た時は嬉しすぎて何年かぶりに家族の前で涙を流しました。
まとまりがないですが、私の受験生活はこんな感じでした。特に浪人の1年間はメンタル勝負でした。1年多く勉強する、それだけのことですが簡単にできることではなかったです。家族、友達、チューター、高校の先生など多くの方の支えがあって乗り越えることができた1年だったと思います。
受験生の皆さん、いよいよあと少しです。
この時期、不安や焦りが出てきますが、受験生みんな同じです。受かったら何がしたいかイメージすると多少は緊張もほぐれると思います。体調に気をつけて最後まで頑張ってください!!
明日の日記はともかにお願いしました。
2021-2022 全進