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〜 第二部 一浪 〜
旭丘高校河合塾キャンパスに移動しました。(うちの高校は浪人率の高さゆえに4年制高校と言われ、四年生は河合塾キャンパスに行くのが定番)
流石に−120点で落ちてるので、プライドは一切捨てて、誰よりも勉強することを誓いました。
ほとんどの時間を勉強に費やし、トガリにトガリまくりました。
朝方生活に変えて、朝6時から勉強、電車は単語、誰よりも早く予備校の自習室に行って、一番遅くに塾から帰ってくる。
移動時間は勿体無いので、基本走ってました。
眠くなったら太ももにシャーペン刺してなんとしてでも寝ないようにしていました。
そんなこんなであっという間に夏がきました。
僕は『夏が受験の天王山』というのを信じていたので、とにかく夏に全力を出すと決めていました。
おそらく一浪の夏が人生で一番勉強しました
50日間分のスケジュールを分単位で決めて実行しました。辛いとか眠いとか考えてる暇があったらとにかく勉強みたいな感じで。
この夏に、初めて実践とオープンでA判定をとりました
正直もう勝ったなと思いました。
目標が手に届くとわかると僕はダメになるみたいで、ここからまたもやダレてしまいます。
高3の反省を生かして学習しろよって話ですけど。
自習室には一番早くようにしていたのですが、授業後に友達とおしゃべりしたりするようになりました。
こういうのが一番だめ、ってわかってたんですけどね。
なんせ、河合塾には高校の同期が100人近くいるんで、友達だらけなんですよね。
高校のころの思い出話したりしちゃって。
秋の模試の結果はちょっと成績が落ちた気がします。
まあでもチューターとかからも「地球工か工化に引っかかるでしょ」って言われるぐらいの成績でした。
まあ、そんな感じでまたもやヌルっと受験突入
出願は京大工学部と早稲田
おいお前、滑り止めはどうした?ってお思いになられる方もいると思いますが、この頃の僕はトガリにトガっていたので、親にも「絶対に受かる」と言っていました。
だって、あんなに夏まで頑張ったんだもん。
京大受験へ
前日は河原町の古着屋を散策して、近くの穴場スポットで美味しいご飯を食べて、寝る前に一時間くらい勉強しました。
やっぱホテルは勉強できん
受験当日
朝からホテルの温泉に入ってゆっくり準備して試験に向かいました。
コンディションも悪くない感じ、イケる。
数学のテスト開始と同時に絶望
悪魔の2020京大理系は鬼の難化でした。
数学、英語、理科、全部むずい、
試験中ずっとパニックって感じでずっと嫌な汗が出続けてました。
あろうことか、最後の理科の試験時間、放心状態で天井を見上げてました。
完全に終わった、と思いました
悲しいとか悔しいとかを通りこして、虚無。
結果は『不合格』
全学部の合格発表を見ましたが、どこにも僕の受験番号はありませんでした。
まさか落ちるなんて思いもしませんでした。一年間ずっと京大のことだけを考えて、何十人もの合格体験記を読んで、勉強してきたのになんで。
今まで、一回浪人してると言えど、トントン拍子だった僕の人生設計は完全に崩れ落ちました。
いろんな人から連絡が来てましたが、全部無視し続けました。
そもそもこのまま生きる意味があるのか、とさえ考えました。
何もかもどーでもよくなるとはまさにこんな感じなのかっていう。
つづく