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お疲れ様です。4回生の松村遼平です。
今日のメニューです。
昨日欠席した何人かで耐乳酸を行いました。他はリカバリーでした。
メニューは、
W-up
Set up
Main Swim 50×6 1'30
All Dive!! 50×5 1'40
Set Rest 3' 50×4 1'50
50×3 2'
50×2 2'
TP (12sMax-8sRest)×12set
Down
という感じでした。ちなみに今日のメインは昨日よりも各セット1本ずつ、計5本増えていましたが、少ない人数ながらも声を出したり、ラストセット前には円陣を組んだりして、いい雰囲気で追い込めました。個人的にも出し切ることができていい練習できましたし、もう一度気合いを入れ直せました。
さて、これが僕の書く、最後の京大水泳部日記となります。ようやく引退できます。
まずは、お礼から。いつも温かく現役を見守って下さっているOB・OGの皆様、ご支援のおかげで僕ら4回生は充実した水泳部生活を送ることができました。ありがとうございます。また、本当に色々なことを教えて下さり、愛のこもった怒りも向けてくれた先輩方、ありがとうございます。また言うこと聞いてくれた後輩のみんなも、ありがとう。そして同期。みんな基本いいやつで、個性豊かで、退屈しませんでした。僕が続けられたのはみんなのおかげです。ありがとう。また伝えます。
引退日記を書くにあたって、自分の水泳部生活を振り返ってみると、甘めに見ても偉ぶれるようなことは万に一つもなくて、申し訳ない気持ちばかり募ります。とりとめもないことだけど、水泳部生活や大学生活を通して感じたことでも書こうと思います。
一回生の時の自分は、自分のやることなすことに自信がなかった。応援隊長という素晴らしい役目を任せてもらったのに、自意識過剰な自分が邪魔して、全くうまくできなかった。先輩に怒られて、さらに萎縮して、またうまくいかない、という悪循環に陥っていた。うまくやりたかったが、できなかった。劣等感が溜まった。やめたかった。今、たまに試合の声出しや応援をしてみると、なぜあんなことができなかったのかわからない。でもそのお陰で、できないということの辛さや、自分が軽くできることをできない人がいること、その人へ優しくすることを知った。
二回生から、周りの部員に刺激を受け、少しずつ自信を持つことを心がけた。本当に小さな成功体験から自分を甘やかすことで、少しずつ自分を大きくしていこうと考えた。津田チャンでのインカレ切りや、京泳編集の作業を千種さんと行うことなどが自分に小さな自信を与えてくれた。でも、練習態度に関してはイマイチだった。
水泳は最後まで好きになれなかった。もともと、高校でやめるつもりだった。一回生時の初めての日記にも書いたが、実家から京都へ、水着は持って行かなかった。でも運命の赤い糸か黒い糸かわからないが、何かに手繰り寄せられて自分から水泳部の新歓に行ったのは事実で、先輩の熱意に圧倒されて自分で入部を決めたのも事実だった。自分が水泳を好きかどうかという気持ちは置いてきぼりだった。今だからこそ、好きこそものの上手なれという言葉の意味が実感される。好きでないことに全てを捧げられるほど、根性のある人間ではなかった(こんな人間は僕くらいです)。だからLINEで、または練習中に、先輩にブチ切れられたり、2000字の反省文を書かされたりした。これまでの悪行を省みて、ごめんなさい。だからみなさんのことは本当に尊敬しています。
そんなこんなで、三回生になった。この一年は、本当に先輩という存在が身近になった。中高時代の水泳部で、合宿中の深夜2時に叩き起こされて暗闇の中で説教されたり、その他諸々されたりしていた自分は、「先輩」という存在への恐怖が大学でも強かった。でもこの一年、一つ上の先輩と密にコミュニケーションをとるうちに「先輩」という存在が今までより大好きになった。また、この年の関カレは一生忘れないと思う。ここだけの話、8継前はなぜだか少し涙が出た。でもワクワクしていると強がり、ベストを出して二部残留に貢献できた。自分の中に、自信がさらに貯まった。
四回生になって、最高学年になった。なったけど、それらしい役割を果たせなかったと思って、それも申し訳なく思っている。正直、水泳とともにやりたいことが多すぎた。そのような状態で、常々部活をやめた方がいいのでは、と思っていたけど、練習に行けば楽しかったことや、この人間関係を手放すのは惜しかったこと、自分がチームのシーズン目標に関わっていることもあってやめられなかった。でも悪いことだけではなく、後輩が増え、それぞれのいいところがよく見えるようになって、とっても可愛かった。自分が水泳に向き合えているか、ということの自信のなさから、うまく話せない後輩もいて、それは残念だった。何度も言ってたけど、みんなには水泳部以外のフィールドでも活躍して欲しいと思う。出会う人の種類が違うと、刺激も倍違う。
3年間、自分は常々劣等感を抱いてきた。水泳でも何でも、うまくいかないことは多々ある。頑張っても、報われないこともある。そんな時に、人は劣等感を抱いてしまう。でもみんなにはその劣等感さえ受け入れて、強くなってほしい。劣等感を抱いている間、絶対人は成長するチャンスにいる。だから、どんな辛くても、劣等感を抱いているうちは安心して、もがいて欲しいと思う。でも、この部活の人は結構真面目な人がいると思うので、逃げ道を用意することも重要だと思う。妥協するための、ではなく努力するために。「あいつは身体がでかいから速い」「あの子は美大に行っているからセンスがすごい」とか(その人らももちろん努力しているのは承知の上で)。自分を追い詰めすぎないようにそう逃げながら、じゃあどう努力するかってことを常に考えて欲しいと思う。もがけばもがくほど、人が寄ってきて、声をかけてくれてモチベーションを高めてくれる。期待される。もっと頑張れる。そういう風にできていると思う。
楽しいことばかりではなかったが、この3年半が僕に自信をつけてくれた。入部していなかったら、自信と劣等感のバランスがちょうどいい、今の自分はいない。こんなに個性的な部員と話すこともなかっただろうし、学生時に年の離れた先輩方と話す機会なんてなかった。ましてやエールを切ることなんて。NF、ラーメン巡りなどなど頭の悪い行事もとっても楽しかった。本当に感謝です。
自分が感じたことのすべてを書けているわけではないけど、ここで終わりにします。4年間、なんだかんだ楽しかったです。水色の青春、味わえました。この先悩んで、部活に真面目に向き合えなくなった後輩がいたら、ご飯でも行きましょう。無条件にその考えを受け入れてから、励まします笑。
写真は、2016ゾンタック(一回生時)の同期です。季節全然違うけど笑。
(ジフンも、また遊ぼう笑)
BIG WAVE 2017→2018
こんなこと直接は絶対言えへんけど、こっちこそ松村がいなかったら部を続けてられなかった。一緒にバカやれて最高でした。
ありがとう。
引退後もよろしくな。
全国公楽しもう。
バランスが良いなら勝手に劣等感もってたらいいけど、君が思ってるよりもっともっともっと最高やで松村遼平
最後駆け抜けよう!
泳ぎの面でもすごい速くて尊敬してました。今度飲みに誘ってください!!
この日記のおかげで、ちょっと上手に生きていけるような気がしてきました。遼平さんは優しくてカッコよくて人間味のある素敵な先輩です。あとちょっとの間ですが、よろしくお願いします!