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こんにちは。
山田信之輔です。別名オデです。他にもプルブイ太郎などいろいろありますが一般的な呼ばれ方は信之輔orオデです。"オデ"の名付け親の杉本くんは信之輔と呼びます。不思議(笑)ぼくが引退したら競泳の全体ラインは誰の名前を使うのでしょうか?
明後日から全国公ですね。
関カレが終わってから急に「引退」という言葉がよく頭に浮かぶようになり寂しい気持ちになることがありました。
長かったような短かったような不思議な気持ちです。
やっているときは長いと感じるのに終わってみると早かったなあと思ってしまうんですよね。高校の時もそうでした。高校の時はかなり後悔したので、今回は(後悔しないということはないですが)後悔しないようなレースを。
練習を見に来てくださった金関さん、豪さん、ありがとうございました。
今日は試合前ということでアップして100*3(1'40)してF.P.して50*4*2(1')して25diveしてダウンして1時間くらいで終わりました。
引退挨拶でだらだら話しても支離滅裂になってしまうと思うので少々長くなりますが、ご容赦ください。
とりあえず自分がどんな感じで水泳に取り組んできたのか書こうと思います。
水泳部に入って立てた目標(水泳をする目的)は全国公に出場することでした。部活の引退まで選手として泳ぎたいと思ったからです。
結果としては大和くんやさとーくんが配慮してくれたり久保さんが譲ってくれたりしてくれたおかげでレギュラーとして泳がせてもらえることになりました。久保さんがもっと前から200に出ていたら全国公はなかったかもしれません(笑)正直、夏季公、関国でもう全国公はないと思っていたので、選んでもらえたことにものすごく喜びを感じています。たぶん、翔大の400IMの次に引退です。最後のレースは、京大水泳部でレギュラーで泳いでいました!、と言えるようなタイムで泳ぎます!
1回生のころはいろいろなことを知るところから始めました。練習では泳ぐだけで速くなるのであまり考えずに泳いでいたと思います。というか考える余裕がありませんでした。練習以外では動画をよく見ていました。youtubeにいろいろな動画が上がっているので授業中や家でグダグダしている時にふと思い立って見ていました。youtubeに試合の動画をあげる仕事をすることになったのでそのおかげでもあります。自分が練習していないときはイメージしたり見たりするのは大切だというのは高校のときから考えていたので。また、大会でも泳ぎを見ながらこの人は何秒くらいで泳ぐ、とかそれぞれの大会の決勝ラインはこのくらいとか考えていました。タイム競技はたいていは1/100秒まで結果として表示され、勝ち負けは非常に厳密に決められます。1/100秒の差が非常に大きな意味を持つ場合もあります。このように数字で客観的に結果が表れるのでタイムには非常に関心を持っていました。そういうわけで自分の記録だけでなくほかの人の記録もよく覚えていました。ちなみにぼくはスイムレコードなどで記録を調べるようなことはあまりしておらず、たいてい自分が生で、あるいはTVで見た試合のレースやタイムを覚えていました。とくに記録会の最終組や対校戦の決勝などはほかの人と話しながらであったり一人で集中したりして見ていました。試合は自分のレース以外でも様々なことも吸収できる場です。ほかの人のレースにももっと目を向けてみるとよいと思います。
あとはいろいろな人と話しました。夏期公認以降は同期ともよくしゃべるようになったので(笑)いろいろなことを吸収しようと努めました。大会の時や合宿の時はいつもは朝しか会わない人とも話せるいい機会なので普段あまり喋っていないなーという人と喋りに行きましょう。今年の様子を見ていると、こいつら本当にいつも一緒にいるよな、という人たちがちらほらいるのでそういう時くらいバラバラになってほかの人と交流しましょう。
以降、そんな感じで水泳に取り組んできました。
ただ2回生の終わりから泳ぐのが嫌になってきて、もともと少ない練習回数がさらに減り、練習以外では水泳のことは考えなくなり、だんだんやめたくなっていきました。2回生のゾンタッグ合宿あたりからなぜこんな苦しい思いをしてまで速くならなければならないのだろうかと思うようになり、競泳をやる上で前提であり究極の目的でもある「速くなる」ということに疑問を持ってしまい、水泳部に所属している目的というものがわからなくなってきたからだったと思います。かといってやめる勇気すらなかったので部活を辞めることもできませんでした。(こんなこと日記に書いていいのかな?)
ただ、こんなに腐っていても見捨てずに声をかけてくれる人がいたおかげでやってこれました(やってこれたといえるのか?最上回生の言葉とは思えない・・・)。冬は本当にひどいタイムで100と200は3回生の夏季公認以来ベストが出ず水泳に関する姿勢に関しても最上回生としてひどい有様でした。同期にも後輩にも非常に迷惑をかけて本当に申し訳なく思っています。水泳をする上では明確な目的と同じ方向を向いて一緒に頑張ってくれる仲間を持つことが非常に大切であり、不可欠であると3年4ヶ月で改めて実感しました。本当にいい仲間を持ちました。本当にありがとうございました。
そんなわけで(?)今まで50,100を泳いでいましたが、レギュラーが狙えるかもしれないと思い、距離が4倍の200,400を3回生後期からは泳いでいました。先ほど書いたように200では結局あと1秒もなかったにも関わらず全国公の制限を春短まで突破することができず、400に関してはもっとひどい有様でした。ここ最近は400以上を泳ぐ人が少なくぼくと奎吾が寂しがっていたので、来シーズンはみんな泳いでね!というか、だれか泳がないといけないわけだしぜひ自発的に400、1500を!
こんな感じで京選までやってきました。京選でたまたま本当にぎりぎr200Frで3番手になったのでそれ以降の試合をレギュラーとして泳がせてもらえることになりました。レギュラーに選ばれてからは研究室の方も慣れてきてだいぶ落ち着いてきた頃でタイミングが良かったこともあり、少しはまともになったとは思います。一応ですが関カレではベストを出せました。ただ、今シーズン1点も稼ぐことができず、自分がいかに無力であるかを痛感しました。今年レギュラーで関カレを泳ぎ点数を取ることができなかった人はおそらくみんな感じていると思います。ぼくは全然できませんでしたが、「今」やるべきことを常に考えて実行していかないと、来年の関カレまで何もできないままあっという間に時は過ぎていき関カレを迎えることになってしまいます。来年は一部に昇格できるように1,2,3回生頑張ってください。
3年4ヶ月を簡単に振り返るとこんな感じです。ぼくが後輩に伝える資格のあることはこのくらいでしょうか。あと少し言おうと思っていることがありますのでそれは引退挨拶の時に。話は長くならないはずです(笑)
3年4ヶ月を簡単に振り返るとこんな感じです。ぼくが後輩に伝える資格のあることはこのくらいでしょうか。あと少し言おうと思っていることがありますのでそれは引退挨拶の時に。話は長くならないはずです(笑)
あと少し。
4回生は個性あふれるメンバーだったと思います。高校の時もそうでしたが、なぜか僕の同期は変人ばかり集まります。おそらくは水泳部史上もっとも変人が集まった回生だと思います。合宿の行き帰りのバスの中、打ち上げなどで、聞こえてくる笑い声はたいてい4回生の声でした。ぼくは聞いている側なので話には混ざっていませんが(笑)いろいろと迷惑をかけまして申し訳ありませんでした。きっと僕に対する不満がたくさんあったと思いますが、最後まで絡んでくれてありがとうございました。変人ではありますが非常に模範となる人が多くその人たちから学ぶ点が多い回生だったと思います。ぼくはダメ人間でしたが。自分ができていないのに人に注意することはできない、というか注意したとしても、なんでこいつが言うの、という感じで説得力がまるでないのであまり後輩に注意するということができませんでした。たぶん一番の反省点です。当たり前のことを当たり前にやることがぼくにはできませんでした。一般にこれが出来る人はなかなかいないといいますが、当たり前である以上はやはりできなければならないのでしょう。話がまとまりそうにないので終わります。
4回生は個性あふれるメンバーだったと思います。高校の時もそうでしたが、なぜか僕の同期は変人ばかり集まります。おそらくは水泳部史上もっとも変人が集まった回生だと思います。合宿の行き帰りのバスの中、打ち上げなどで、聞こえてくる笑い声はたいてい4回生の声でした。ぼくは聞いている側なので話には混ざっていませんが(笑)いろいろと迷惑をかけまして申し訳ありませんでした。きっと僕に対する不満がたくさんあったと思いますが、最後まで絡んでくれてありがとうございました。変人ではありますが非常に模範となる人が多くその人たちから学ぶ点が多い回生だったと思います。ぼくはダメ人間でしたが。自分ができていないのに人に注意することはできない、というか注意したとしても、なんでこいつが言うの、という感じで説得力がまるでないのであまり後輩に注意するということができませんでした。たぶん一番の反省点です。当たり前のことを当たり前にやることがぼくにはできませんでした。一般にこれが出来る人はなかなかいないといいますが、当たり前である以上はやはりできなければならないのでしょう。話がまとまりそうにないので終わります。
最後の全国公まで泳がせてもらえて幸せです。
これを書くのも最後ですね。
GO!! 京大!!!
GO!! 京大!!!
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無題
信之輔さんはいつも細やかなところまで気配りをして、声をかけてくださる優しい先輩です。
やっているときは長いと感じるのに終わってみると早かったと思う、というのは、きっとすごく充実した毎日だったのですね。私も3年後にそう思いたいです。
最初で最後の全国公、ベストレースにしてくださいね!楽しみにしてます\(^o^)/
いくよー!GO!!京大!!!
やっているときは長いと感じるのに終わってみると早かったと思う、というのは、きっとすごく充実した毎日だったのですね。私も3年後にそう思いたいです。
最初で最後の全国公、ベストレースにしてくださいね!楽しみにしてます\(^o^)/
いくよー!GO!!京大!!!
オデさんのこれからの安寧を願って
オデさんは日本代表から関西の大学生まで、いろんな選手のベストタイム等の情報を把握していて、すごいなぁと思っていました。その姿勢は是非見習いたいものです。
それと、忘れてはならないことがもう一つ。
オデさんの過去問のおかげで、僕たち理学部生(の単位)がどれだけ救われたことでしょうか。感謝してもしきれません。
ラストレース、感謝の気持ちを込めて精いっぱい応援します。熱いレースを期待しています!
GO!! 京大!!
それと、忘れてはならないことがもう一つ。
オデさんの過去問のおかげで、僕たち理学部生(の単位)がどれだけ救われたことでしょうか。感謝してもしきれません。
ラストレース、感謝の気持ちを込めて精いっぱい応援します。熱いレースを期待しています!
GO!! 京大!!