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お疲れ様です。1回生のフクダです。
春休みに入ってから、デリバリーのアルバイトを始めました。
北大路通り付近を原付で呑気に走っています。
暖かい日に配達に出かけるのはとっても気分がいいです。
受け渡しの時以外はお客さんと話さないので、ずっと考え事をしながら働いています。
そんなわけで、「合格体験記で何書けばいいんだ」と考えていたんですが、なかなかまとまらなかったですね。
本題に入ろうと思います。
自分は小学校、中学校では図工、美術、技術とかが好きだったこともあって、将来は商品とかを作る仕事ができたらいいなあと思ってました。
だから高2の秋までは芸術工学部というニッチな学部に行こうと思っていました。芸術工学部は国公立では名古屋市立大、九州大学しかなっかたので、近い名古屋市立大を目指していました。
でも、いざ高2の秋にオープンキャンパスに行った時に展示されている作品を色々見た時に、「こんな凄い所にいたらついていけないわ」と直感的に思ったので、芸術工学部じゃなくて工学部に行くことにしました。
そこで、「工学部 近い 住みたい街 私立除く」と絞り、難しい順に並べた一番上が京大でした。そんなわけで京大を目指し始めました。
だいたいこのあたりから受験に向けて本格的に勉強を始めました。
周りの環境が恵まれていたので、結構頑張ることができました。
1年経って、受験勉強は美化されていますが、受験本番については悪かったことをよく覚えています。
センター試験1日目。自分は1日目の国語、英語、特に地理が大事だったのですが、地理の手応えが非常に悪かったです。
帰りの電車で乗っていた知らない人たちが「地理去年より簡単やったからできたわ」とか「地理の〇〇番って3番やったよな」と言うたびに「え、自分と違うやんけ」となって凹みました。
この前会った友人が「あの時のジローの顔真っ白やったで」と言ってました。
そんなわけで結果も非常に悪かったです。情けないことに、リサーチの人数分布では山の麓あたりに座ってました。あと3点低かったら別のところに出願する予定でしたね。
センター試験前までは「模試の判定も悪くないし受かるっしょ」と思っていたけど、初めて「落ちるかもしれない」と怖くなりました。
そして1ヶ月後に二次試験を受けたのですが、これも手応えが悪かったです。
特に物理化学が酷かったですね、「なんか、何も戦わせてくれなかったな」と思ったのを覚えています。
一緒に受けた友人と終わった終わったと言いながら、京都駅にある抹茶スイーツの店(多分中村藤吉)に行きました。
スイーツを食べながら「数学の○番難しかったよなあ」と言っていたのですが、隣のテーブルに座っていた(多分)浪人生二人組の女性たちが小さな声で、「あの問題、できたよねぇ〜」と煽るように言っていたのを聞いてしまいました。
ぶん殴ってやろうかと思いました。そんな2/26でした。
結局、目標していた点数に届かず散々でしたが、3/10にパソコンを開いたら合格してました。
高校生活で一番嬉しかった瞬間だったと思います。
実はダメだったと散々言って置きながら蓋を開ければ良かった、と言うわけではなく、しっかり全部良くなかったです。
受験生へ、見ているかはわかりませんが。
できたと煽るのは控えましょう。心の中でガッツポーズするのに留めておいてください。
知らず知らずのうちに人を傷つけているかもしれません。
でも、入試は人を蹴落とすものか。
やるなら計画的に。少なくとも友達にはやめましょう。
あと少し頑張ってください。
明日はリョウセイです。
約3か月半ぶりに日記を書きます。
嬉しいような、練習を振り返る事ができずに寂しいような、、不思議な感覚です。
合格体験記を書く前に、私の近況について。
先週、大河ドラマ「青天を衝け」の放送が始まりました。
地元・姫路がメインロケ地となった「軍師官兵衛」以来、1話から見始めました。
春休みに入ったので時間的なゆとりも増え、本を読んだり新たに高校生物を勉強したり、充実した生活を送っています。
では、本題に入ります。
以下私の個人的な体験及び受験を通して感じた事を書きます。参考にならないかもしれません。弱冠19歳の一大学生の話、と思って読んでください。
まず、なぜ京都大学を志望したのかについて。
大きな理由は、「京都という土地に対する憧れ」でした。
小学高学年の頃からお寺に行ったり、博物館・美術館を巡ったりするのが好きでした。「京都に住んだら毎日行けるやんか。めっちゃ得やん。」と思ったので、高校生になった時に京大に行こうと決めたのです。
高校時代は、受験勉強と競泳練習の両立に全力を注ぎました。インターハイ出場には届きませんでしたが、近畿大会ラストレースでベストタイムを出す事ができたので、10年の競泳生活に(一旦)区切りをつけて引退し、受験勉強に精進しました。
試験当日の事を書きます。
センター試験当日。いつもの試合のように家族が送り出してくれた事もあり、緊張する事もなく試験会場に向かいました。Bluetoothのヘッドホンをつけて、好きな曲を聴きながら会場に入りました。
二次試験当日。センター試験と違って緊張していました。試験会場が開くまでに、県高校総体のリレー決勝の動画を観ていました。受験以前で一番頑張れた(と思う)動画を観て、アドレナリンを出しました。
京大は2日間かつ長時間の試験なので、休み時間には気分転換をするために漫才を聞きました。
こういうリラックス方法も存在する、という事です。
振り返ると、私の受験は非常にマイペースだったと思います。
(振り返ると、昨年の京大入試は異常にヘビーな問題だったと思います。)
私の拙い文章をここまで読んでくださり、ありがとうございます。
最後に 受験生の皆さんが力を発揮できますように。
満開の桜が咲きますように。
明日は優二郎です。
入れ替えると、ひまなくわがたです。最近は本当暇です。
今日は受験体験記第二弾です。もう一年もたつので記憶が美化されているような気がします。
まず、自分が京大農学部を受験したのは、センター試験前に点数が800~810の間だったらここを受けようと決めたからです。それより高い場合、低い場合はそれぞれ別の大学学部を受けるつもりでした。自分は運命を信じるタイプなので、たった10点しか範囲がなかったのにここの範囲に収まったことで自分は京大に行く運命なのかもしれないと自信が持てました。
地元から離れたくないとか京大変人ばっかりだったらどうしようとかいろいろ考えましたが、決めたからには受かるように努力しようと頑張りました。水泳では目標を達成できたことがなかったので、勉強で立てた目標はその分絶対に達成したいという気持ちでした。水泳では目標を達成できなかったらどうしようとなり目標を周りに発信することができず、自分の逃げ道をつくってしまっていましたが、目標を口に出しそれに見合う努力をすることはやっぱり大事なことだと思うし、受験を通して少し自分の殻を破れたような気がしました。
ここまで受験の思い出をつらつらと語るだけになってしまいました。でも勉強法について自分が言えることは何もないと思います。すみません。
試験当日についてですが、数学の試験時間が長いせいか分かりませんが、解答用紙を配った後の無の時間?にトイレに行く人がたくさんいました!自分はトイレ途中でいきたくならないように塩分チャージをたくさん食べてしっかり対策していたので、こんな作戦があったのかと驚くと同時に本気で行くか迷いました。しかも、みんながトイレに行ってる時間に勉強できて、自分がトイレ行っている間はみんな勉強できないので、そういう面でも少しお得感ある気がします。あと、試験と試験の間はトイレに歩くことで疲れが取れるし外の空気が吸えるので、おすすめです。
また、自分が受けた私立の合格発表が二次試験一日目にありましたが、親や担任の先生に言われた通り見なくて正解だったと思います。二次試験終わってから見て思っていたより精神的ダメージを受けました。なので、同じような人がいたら先生の教えに従うことをおすすめします。
試験後は絶対に落ちたと思っていましたが、理系科目が難化して差がつきにくくなっていたおかげもあってか合格することができました。本当にありがとうございます。
受験生の皆さん、本番まで残りあと少しとなりました。
試験には運要素もあると思うので最後まであきらめずに合格を勝ち取ってください。
応援しています。
次は、裕一朗です!
皆さん、ポンテンまるって誰だよw、ってなってませんでしょうか笑
コロナ大変ですね。最初は2月上旬までと思われていた部活停止も3月まで延びてしまいました...じゃあ3月から始められるのだろうかと言うと、その問にも明るい未来が見えないこの感じ...
まあたえですね。
私は自粛期間...とても充実した生活を送っていました○
練習は地元で高校の同級生と一回行ったきりです、、あともう一回くらいは行こうと思います。
さて、今日からは一回生による合格体験記です。
第一回は私、ポンテンまるが担当いたします。
僕は京都大学工学部電気電子工学科に所属しており、センターは物理化学、地理Bでした。参考にしてください。
とはいえ、僕はここで具体的な勉強法とかについてはなすつもりはありません。というか話せるほどのことが特にないです笑 僕は受験期は自分のマインドコントロールにとても苦労しました。同じような苦労をしている受験生も(特に今年は)きっといるんじゃないかなーと思います。そんな僕の体験記を綴ろうと思います。そんな人の支えに少しでもなれば嬉しく思います!
そして、センター当日。上記の奇病や集中力スパイラルが起こらないかなどの不安しかなかったんですが、当日に母親に言われた「ケセラセラ(なるようにしかならないのだから気負ったってしょうがない)」という言葉に妙に納得し、おかげで何とは破滅は避けれたんです。(まあもともとセンターができる方じゃなかったんで、っていう精神的な安心感もあったかもしれません。)。その後は、その言葉のおかげで少しずつ負のスパイラルから抜けられそうになったが二次のウェイトのほうが大きいこともあり、また不安が少しづつ膨らんでいたんですよね。そんなときふと思い浮かんだ「今を生きる」の言葉。201何年かほりえもんが近大の卒業式の締めくくりで発した言葉なんですが、これを思い出したんです。
結局、今していること、その瞬間にしていること、ただそれだけに集中すればいい。違うことが浮かんでもそれさえ忘れなければ、なんてことないんだと気づいた。何回も聞いてきたフレーズだったがその重要さを実感したんです。
それに気づいたのは受験の本当一週間前だったんですが、そこからはすごく自分の納得のいく勉強ができました。本番も不安はだいぶありましたが、ただ目前のことに集中する、それだけ(<ーっていうことさえも意識しないような..)を意識した結果、全力を出し切ることができました。
ありがとうございました。最後に受験生へ!「気楽に!顔晴れ~」
次はひなたです!
お疲れ様です。
先に残念なお知らせがございます。
近畿2府1県での緊急事態宣言の要請に伴い、12日から屋内での京都大学の部活動が全て停止となりました。
そのため、京都踏水会の屋内プールを借りて練習をしている京都大学水泳部は来週から部活動休止となります。
毎日日記を見るのを楽しみにしてくださっていた皆様には申し訳ありませんが、ご理解の程よろしくお願い致します。
まあ、とは言っても、この1番コロナが流行っている冬場でも、今のところ屋外部活は禁止になってないので、夏場にはまた屋外プールで部活できるんじゃないかとは思ってます。
まだ全然引退というわけではないと思います。
というわけで、自粛前最後の練習メニューは
upして
50×3 smooth
50×1 speed
50×1 25HE
を3set、
50×4 relay dive (IM、fr-fly、fr-ba、fr-br)
down
でした。
今日はひさしさんの最後の練習でした。
夏場の大会がコロナでなくなった後も、悔しいからという理由で練習に来ているということを本人に聞いて以降、ほんとにすごい人だなって尊敬してました。だってもし僕だったらやったとしても1週間で挫折してますしね。
今まで本当にお疲れ様でした。
ただひとつだけ心残りなのが、今日の日記を何回お願いしても、「いやおれはもう引退日記書いたし、絶対書かへんから」と断られ続けたことです。ひさしさんらしいですけど…
とういうわけで、期待してくださった皆さんには申し訳ないですが、本日の日記は水泳部の駄文製造機・櫻井が担当いたします。
あ、皆さん、今日の練習のリレーダイブのときに順番乱してしまってすみませんでした。昨日寝れなさすぎたせいで頭がずっとボーッとしてて、そしたらいつのまにか全然違う順番のところで飛んでいました。
はい、
こういうラスト(?)練習を締めくくるのに絶対僕は適役じゃないので、昨日は泉をだいぶ恨んだんですけど、頑張ってまじめな話してみようと思います。
これからの自粛期間、タイム落ちる人が多いと思います。例外ももちろんいるとは思いますが、全員が全員ストイックなわけではないし、そもそも市民プールなどで一般の人に混ざって1人ぼっちで泳ぐ練習では、そこまで高い質を維持できないだろうし、そこは仕方ないと思います。
でも僕的には、フィジカルとかタイムの方を整えるのは難しいとしても、せめていつでも水泳部に復帰できるように心の準備をしておくことが1番大事だと思います。
僕の場合、去年の4月から9月の自粛期間は部活のことを忘れて自由気ままに過ごしすぎたので、そのまま気持ちの切り替えもできてないまま部活に戻った後、最初の1ヶ月こそは久々に泳げて楽しかったし10〜11月は休んだのは1回だけでほぼ皆勤だったんですけど、11月後半あたりから練習に飽きてきてめっちゃモチベ下がって、12月〜1月で一気に7回も休んじゃいました。これじゃあ最上回生として示しがつきません。
たぶん部活再開前に、この先何ヶ月も毎日朝練の部活を続けるんだ、という心の準備をしてこなかったからこうなったんだと思います。
だからこれからの自粛期間、決して部活を恋しく思ってメンヘラになれ、って言いたいわけではないですけど、最低限自分たちは部活に所属してるんだってことを忘れずに、近い未来また部活に復帰するときのことを考えながら生活していくのが大事だと思います。
フィジカル維持は難しいとしても、だからといってメンタル維持まで諦めるのは良くないよってことです。
これだけ日記で偉そうなことを言ったので、もし復帰後の僕が全く練習でやる気なさそうに見えたら、思いっきり注意してあげてください。よろしくお願いします。
ひさしさんの最後の練習ということで写真撮りました↓
3回生の写真↓
引退写真ではない(はず)
欠員いるのが残念
主任はなぜか最後まで帽子を外しませんでした。
ひさしさん↓
(ほんとに僕がこんな締め方していののかわかんないですけど、)
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それでは皆さん、またこれから1ヶ月以上会えない日が続くと思いますが、体調にはお気をつけください。
部活再開したときにはみんな元気な姿でお会いできるのを楽しみにしています!